yamazato60 ~YAMAZATO Campus 60+

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南山大学の「ここ」を未来に届ける
『南山大学をはなす』

職員座談会 vol.3前編

理事・事務局長 福田 尚登さん
経営本部長 三谷 靖司さん
大学本部長 児玉 和典さん

職員座談会 vol.3前編
信頼する仲間と出会い、共に歩んで

『YAMAZATO60+』職員座談会の第3弾、満を持してご登場いただくのは、事務局長・経営本部長・大学本部長と、事務組織のトップを司るお三方です。彼らの学生時代の話から現在、未来へと、南山学園の40有余年にわたるクロストークをお楽しみください。

聞き手

コピーライター 村田真美
(株式会社mana)91B154

取材日

2025年10月2日

左から児玉さん、三谷さん、福田さん

重鎮たちは‘モラトリアム世代’?

「事務方のトップ3名のスケジュールを、会議以外で同じ日時で確保できたのは奇跡に近い」と聞いております。ご参集ありがとうございます。事務局長の福田さんと大学本部長の児玉さんは南山大学のご出身とお伺いしました。

福田

1981年に大学入学、卒業後の1985年に入職して現在に至ります。

通算すると45年近く南山に関わっていらっしゃるということですね。まずはお三方の仕事上の関係性から紐解いていきたいので、続いて三谷さんお願いします。

三谷

福田さんと同期で、85年入職、勤続40年です。私は国立図書館情報大学(2004年に筑波大学に統合)の出身です。

学術情報の専門家を輩出する大学で学んでいらっしゃったんですね。児玉さんは?

児玉

私は先ほどご紹介いただいたように南山大学出身で、入学は1985年です。ちょうど福田さんが卒業した年ですね。そして1989年に南山へ入職。私は学生時代を含めて約40年になります。

現在の業務上の関係性でいうと、福田さんが事務局長、三谷さんは経営本部長で、児玉さんは大学本部長でいらっしゃいます。南山学園の事務局長というのは、役職としては事務組織のトップですよね?

福田

事務局は、「経営本部」と「大学本部」という2つの本部に分かれていて、経営本部のトップが三谷さん、大学本部のトップが児玉さん、それらを統括する事務局長を私が担っている、と説明するとわかりやすいかな?

指揮者というのは、引っ張っていくことも必要なんだけど、奏者の一番いい音を引き出すのが仕事

理事・事務局長

福田 尚登さん

なるほど。福田さんの両翼に三谷さん、児玉さんって感じですね。ありがとうございます。では個人的な掘り下げを進めていきたいのですが、学生時代に遡ってお聞きしてもよろしいでしょうか。福田さんは何学部でしたか。

福田

文学部哲学科です。

哲学専攻の福田さんが、どんな経緯で南山に就職されたのでしょうか。

福田

1985年当時はまだまだ学部差別というか、出身学部によって、就職先の選択肢が限られていた時代だったので…文学部だと、例えば就職活動で銀行に電話をしても相手にしてもらえない。ただ、当時SE系の職種は文系学部の学生にも引き合いが結構あって、私も内定をもらっていた企業があったんです。ところがある日、職業指導室(現在のキャリア支援課)で南山学園からの追加募集の貼り紙を見つけまして、受けてみようと思ったんですよね。それでご縁をいただきました。

学生時代、課外活動などは?

福田

管弦楽団で活動していました。伝統ある部活で、今年70周年記念に愛知芸術文化センターのコンサートホールで演奏会が行われました。

南山大学管弦楽団 創立70周年記念演奏会 開催報告

70周年とはすごいですね。‘学生時代の思い出‘として本日持ってきてくださったこちらの楽譜は、当時のものですか?

福田

そうです。これはグスタフ・マーラーの『交響曲第1番』の総譜で、大学4年の時に演奏会で取り組んだ思い出の曲です。当時、私は「トレーニングコンダクター」を担当していました。

トレーニングコンダクター、ですか?

福田

演奏会の本番にはプロの指揮者がタクトを振りに来てくれるのですが、練習にはなかなか来られないため、学生がトレーニングコンダクターとして合奏練習などで指揮台に立ちます。その役割を担っていました。

練習時の指揮者ってことですね。幼少期からクラシックに親しんでこられたのでしょうか。

福田

いえいえ、私は中学、高校でブラスバンドをやっていたので、大学ではビッグバンドをやってみたかったんです。でも南山大学にビックバンドの部活がなかったので、管弦楽団に入りました。トレーニングコンダクターをしながら、楽器はトロンボーンを吹いていました。

楽団のリーダーである指揮者は、現在のお立場とシンクロするようなイメージですね。

福田

マーラーの総譜をこの座談会に持参したのは、思い出の品ということもありますが、現在の仕事観につながるエピソードをお話できたら、という思いもありまして。

現在、東京都交響楽団などで音楽監督や指揮者として活躍されている大野和士さんが、当時、私たち管弦楽団の演奏会本番でタクトを振るプロの指揮者だったんです。彼は東京芸大大学院在学中で、プロの指揮者としても活躍されていたのですが、私より3歳年上で年齢が近かったこともあり親しく話をさせてもらっていました。私たちが演奏曲として選んだマーラーの交響曲は、学生には難しい曲だと言われていました。先輩方の猛反対を押し切ってその難曲に挑むと決めた私たちが練習に励んでいたある日、大野さんが練習に顔を出してくれました。彼の指揮で演奏をしていたところ、あるフルートの担当パートで急にゆっくりとタクトを振ったんです。練習後、一緒にご飯を食べているときに「あの時、ゆっくり振りましたよね」と私が切り出したところ、彼から「そう振った方がいいと思ったんだよね」と答えが返ってきました。その時に彼が言ったのは「フルートの子が一番いい音が出るよう、テンポを遅らせたんだよ。指揮者というのは、オーケストラを引っ張っていくことも必要なんだけど、奏者の一番いい音を引き出すのも仕事だからね」と言われて、私は目から鱗が落ちました。

その時の彼の言葉が、その後の私の道標となっています。組織運営における私の役割は、メンバーが仕事に打ち込みやすい環境を整えて、彼らに本領を発揮してもらうこと。全体として自分が思い描く方向へ進んでいければいい、という思いでこれまで歩んできました。学生時代に大野さんからいただいた言葉が、人生における大切な指針となり今に生きているんです。

先輩方の反対を跳ねのけてまで、難易度の高いマーラーの交響曲にチャレンジしてみようと思ったのはなぜですか?

福田

この交響曲はマーラーが20代で書いた楽曲なんです。マーラーが20代で書いた曲を、20代の指揮者と私たち20代・10代の若者で演奏することに意義がある、という大野さんの提案に共感して、ぜひ演奏したいと思いました。

指揮者としての経験が今の組織運営に繋がっている、ということですが、トロンボーンは今も吹いていますか?

福田

大学卒業後、社会人のオーケストラに入って40歳くらいまで奏者を続けたのですが、仕事で課長職に就いてからは、練習時間を捻出することが難しくなってしまって。トロンボーンを吹く時間がないのなら手元に置いておいても意味はない、と楽器を売り払い、すっぱりと距離を置きました。

真剣に向き合うからこそ、という福田さんのお人柄が伝わってくるエピソードをありがとうございます。南山入職後の歩みについてもお聞かせいただけますか。

福田

教務課から職業指導室(現在のキャリア支援課)、人事事務室(現在の人事課)、国際教育センター(現在の国際センター事務室)で課長職、その後再び教務課を経て学務部長、総務部長、事務局次長(現在の経営本部長)、大学事務部長(現在の大学本部長)の後に、現職です。

要職を歴任されてきたのですね。続いて三谷さん、お願いします。学生時代は図書館情報大学、つくば市で過ごされたとのことですが、そもそもなぜその大学に進学されたのですか?

私は「図書館に就職した」という感覚でした。

経営本部長

三谷 靖司さん

三谷

私の地元は名古屋なんですが、高校2年生の時に、図書館情報大学という新しい大学ができると小耳にはさんだのです。もともと本が好きだったのと、下宿したいと思っていたのでちょうどいいなと思ったのがきっかけです。当時、筑波研究学園都市ができて間もない時期で、道路もまだ一部が舗装されていなかったですし、街のあちこちをブルドーザーが走っているような状況も刺激的でした。都市自体が発展途上という、エネルギー溢れる感じが面白いと思ったんです。また、私は歴史や趣を感じる建造物が好きなので、日々進化していく街の光景をモノクロ写真に収めていくのも楽しみでした。

すごい。筑波学園都市のエネルギー溢れる光景が目に浮かんできました。フロンティア精神に溢れていたんですね。学生時代は、部活などは?

三谷

高校は軟式テニス部で体育会系だったんですが、新設の図書館情報大学では、私たちは二期生ということもあって、残念ながらまだ部活もグランドなどのスポーツ施設も整備されていませんでした。なので部活に打ち込むわけでもなく、のんびりとした学生生活を送っていました。‘モラトリアム世代’の私たちは、4年生になっても積極的には就職活動をしない学生が多かったように思います。図書館情報学部だけの単科大学でしたから、就職先も情報系、データベース関係、都市計画関係、企業の事務系という感じでした。私は本が好きだったので、図書館に関わる仕事がしたいと思い始めたころ、たまたま南山学園から、図書館関係の求人が図書館情報大学にあったんです。私は名古屋出身ということもあり、教授から「就職決まってないなら、南山大学の図書館はどう?この人に挨拶に行くといい」と当時の南山学園の人事事務室長を紹介されました。そして面接を受けて正式に採用に至った、という経緯です。

モラトリアム世代とか、その時代の空気感がおふたりの話から伝わってきました(笑)

三谷

学校法人や大学に入職したというよりは、私は「図書館に就職した」という感覚でした。当時の図書館での仕事は、紙の目録に手書き、もしくは電動タイプライターの世界です。それが徐々に機械化されていき、私自身もシステム関連の仕事をしました。それから日本私立大学連盟の事務局へ半年出向し、戻ってきた時に図書館から離れて事務システム課へ配属されました。

今でいう情報センターですね。

三谷

ちょうど2000年問題に直面していた時期です。課せられたのは2000年問題をクリアするために、今ある汎用機のシステムはそのまま動かしつつダウンサイジングする、という使命でした。必死に対応し、なんとか21世紀を無事に迎えた1月1日付けで教務課へ異動となりました。教務課長、総務課長を経て、教育・研究事務部長、学務部長、総務部長、と部長職を一通り経験した後、組織変更があって、総務・人事部長を経て現職です。

部長としてすべての部門を経験した上で、今は全体を見渡す経営本部長に就かれたのですね。スタートは本好きな青年だったのに、しかも‘モラトリアム世代’なんておっしゃっていたのに、人生は面白いものですね。さて、持ってきてくださったこちらの本は、江戸川乱歩にまつわる著作ですか?

三谷

私の本好きの原点です。今の生活や趣味にすべてつながっているのが江戸川乱歩なんですよね。少年探偵シリーズ「鉄塔王国の恐怖」、これは一番最初に買った彼の作品ですが、大学時代に親に捨てられてしまって…10年くらい前にようやく見つけて買い直したものなんです。だから版が違う。少しデザインが違うんですよ。この昭和チックな図柄、いいですよね~

語り出すと止まらない三谷さん(笑)。

三谷

そして、彼の全作品を読了してしまうと、次は彼自身や、彼の作品について書かれた本を読む。この「乱歩と東京」みたいな本をね。そこに紹介されている建物を見ながら街歩きをしたり、と趣味も広がっていきました。私が学生時代を送った1980年代は、「つくばセンタービル」という、ポストモダン建築のエポックメイキングなビルが完成した時期でもあるんですよ。

聞けば聞くほど、三谷さんが何者なのかわからなくなってきました(笑)。引き出しが豊富というか、想像の斜め上から情報が次から次へと降ってくる感じです。続いて児玉さんお願いします。児玉さんの学生時代の学部や部活についてお聞かせいただけますか。

大学時代は、ゴルフ部で年間100ラウンドくらいまわっていました。

大学本部長

児玉 和典さん

児玉

法学部で、体育会系のゴルフ部に所属していました。

大学時代は、ゴルフ部で年間100ラウンドくらいまわっていました。だからと言うわけではないですが、ご想像の通りなかなか授業には出られないですよね。ゴルフ場に朝の4時くらいに行き、夜明けと共にラウンドして、大学に戻ってきて授業に出るつもりはあるのですが…の繰り返しです(笑)。ラウンド後に昼食をとって大学に戻ってきて、昼休みに部活のトレーニングをする。そして午後は授業に出たり休憩したりして、夕方に部活へ行く、そんな大学生活を送っていました。

よく4年で卒業できましたね(笑)。

児玉

ギリギリで卒業できました。だから私が南山に入職した時に、周りからは異色な存在と思われていたようです。大学職員を志望する人って、公務員志望の方が多いから。

なぜ大学職員を志望されたのですか?

児玉

父が大学職員だったので、私の中で大学職員というのは結構身近な職業だったんです。1989年に入職ですから時代はバブル全盛期。周りは証券会社など金融系へ就職した友人が多かったですね。

そんな児玉さんが入職してから現在までの道のりについてもお聞かせいただけますか。

児玉

新人で配属されたのは広報室です。当時でいうと、教務課や学生課、総務、図書館が出世への王道ルートで、同期はだいたいそういった部門へ配属されました。当時の広報室は、今の学長室と入試広報を合わせたような業務をいろいろとやっていまして、学校事務とはかけ離れた仕事内容でした。そこに3年ほどいて、入試課へ。経理課から将来構想準備室、新学部の設置から瀬戸キャンパスへ行き、戻ってきてからは人事や経理、学長室へ。学務部長、事務局次長を経て現職です。

YAMAZATO60プロジェクト、見てました?

皆さんの個人的なエピソードから、普段のお仕事の顔とはちょっと別の一面が垣間見えたところで、本題へと移っていきたいと思います。「YAMAZATO60プロジェクト」のことはご存じでしたか?児玉さんからお願いします。

児玉

もちろん知っていますが、遠巻きに見守っていた感じです。個人的には、卒業生の話があってもいいよな、と思っていました。卒業後何年か経ってふと大学を訪れた時に、自身の学生時代を懐かしんでもらったり、そんな企画があったら面白そうだなと思っていました。

三谷

私はですね、ちょっと真面目に答えると、まさに私も福田さんも昭和38年生まれで、年齢的に近いんですよ、「山里キャンパス」の歴史と。昭和39年って、東京オリンピックが開催されたり、東海道新幹線が開通したりと戦後復興を象徴する年でしたよね。自分の年齢を重ねて「YAMAZATO60」プロジェクトには親しみを覚えながら見守ってきました。キャンパスの建物という、物理的なものを中心に据えているので、この「60年目」という‘点’ではなく、この60年間を‘線で繋げる’という試みはとても良いと思いました。この60年の間には、建物を近代的なビルにしようという計画があったとも聞いていますし、紆余曲折を経ながらも南山らしい情景が残っている現在地というのは感慨深いものがあります。ただ、当初は1年限定のプロジェクトとして始まっていましたから、「奥田副学長と山岸副学長がこんな大風呂敷を広げちゃって」と正直思ってたんですよ。でも1年経ったらどうなったか、プロジェクト名に「+」がついて2年目も継続していますよね。うまいことやったな、と(笑)。

この先は+を超えて「∞(無限大)」ですね(笑)。

三谷

先人たちからの賜物があってこそのプロジェクトだよね。

その通りですね。ありがとうございます。では福田さんお願いします。

福田

このプロジェクトのことはよく認知していました。奥田副学長が「レーモンド・リノベーション・プロジェクトで建築学会賞を受賞したことが、1つのきっかけになっている」と発信していましたが、そのレーモンド・リノベーション・プロジェクトに私ががっつり関わっていたこともあり、その繋がりを嬉しく感じていました。また対談の中で山岸副学長が「ハードウェアだけでなく、ソフトウェアも含めた形で」ということも言っていて、我々が関わったハードウェアの仕事が、こうやってソフトウェアに繋がっていく、という流れに「なるほど」と思いました。また、若手職員の対談には心から「すごいな」と敬意を払いましたし、我々モラトリアム世代が集まったら、果たして彼らのような話ができるのか、と自身を顧みる一方で、しっかりと次代を担ってくれる若い世代が育っていて頼もしく感じました。

南山の屋台骨を支えている事務職員を束ねる重鎮たちにも‘学生時代’はもちろんあって、おそらく普段職場で見せる顔とは別の一面を見せてくださったのではないでしょうか。同世代トークはまだまだ続きます。後編もお楽しみに!