職員座談会 vol.3後編
南山らしさを、後世に引き継いでいく
『YAMAZATO60+』職員座談会vol.3<前編>では、事務局長・経営本部長・大学本部長の学生時代から現在までの話を伺いました。ここからはメインテーマである、「Beautiful Campus」と「Nanzan Mind」について、そして未来に向けた話へと進めていきます。
聞き手
コピーライター 村田真美
(株式会社mana)91B154
取材日
2025年10月2日

Beautiful Campus&Nanzan Mindへの想い
ここからは「あなたにとってのBeautiful Campus」、「あなたはどんなところにNanzan Mindを感じますか?」についてお尋ねしていきたいと思います。児玉さん、お願いします。
児玉
私にとって思い出の場所は、K棟の屋上です。今は屋上には上がれないですけど、私の学生時代は自由に行き来できたんですよ。K棟は高い建物ではないんだけど、ちょうどグリーンエリアを見渡せるので、そこで皆で弁当を食べたり、タバコを吸ったり、ぼーっとしたりしていました。
K棟の屋上からのキャンパス
私もキリスト教概論の授業をK棟の屋上で受けた記憶があります。神父さまとメディテーションをやりました。懐かしいです。屋上といえば、確かH棟も上がれましたよね。
児玉
H棟の屋上では応援団が練習していたので近寄りづらくて、私たちはK棟の屋上でくつろいでいました。確かベンチが置いてあったと思います。
応援団が練習しているH棟の屋上と、学生がのんびりくつろいでいるK棟の屋上との対比が面白いです。Nanzan Mindについてはいかがですか。
児玉
私は、どちらかというと身近な、例えば誰かと接するときの気配りとか、そういうものなんじゃないかと思っています。私たちが日常的に思っていることや接し方、ふるまいが実は「Nanzan Mind」なのかな、と思います。
これまでの座談会でも、優しさとか気配り、謙虚などという言葉で表現される方が多くいらっしゃいました。日常に溶け込んでいる感じですよね。児玉さんもその体現者のひとりですね。学生時代は授業にあまり出ていなかった、とおっしゃってましたけど、キャンパスでの学びは知識の修得だけではないですから。
児玉
教室ではなく食堂で出会った他学部の友達も、かけがえのない財産になっています。
三谷さんはいかがですか。
三谷
私のお気に入りの場所はちょっとマニアックですよ。私は南山の卒業生ではないので、教室で授業を受けている風景や、グリーンエリアでゴロゴロしたりグラウンドで友達と遊んでいる風景という記憶はないわけで、あくまでも「職場としての南山大学」になります。その前提でいうと、お気に入りの場所は図書館の地下2階の書庫。
ライネルス中央図書館 地下2階 書庫
そう来ましたか!
三谷
私たちが入職した40年前の図書館地下2階は、閉架式書庫だったんです。教員は入れるんですけど、学生は自由に出入りできない場所。静かで人の気配がない空間、通路も広くて、装丁の美しい洋書がバーッと並んでいる。集合体としての圧巻の美しさに高揚感を感じたり、知識の深淵に触れる感覚が大好きでした。その後電子化の波がきましたけど、一周まわって、また本の集合体が放つ圧倒的な力が見直されたりしていますよね。
本の集合体が放つ力に高揚感を覚える、わかる気がします。背表紙の奥に筆者の想いや熱量がたくさんつまっていると思うと圧倒されますよね。
三谷
「書庫が好きというのは、Beautifulなのか」という声が聞こえてきそうなのでもうひとつ。体育館も好きですね。キャンパス内の校舎などは直線的であるのに対して、体育館は屋根が曲線だったり、ステージの上にコンクリートの壁があったりと、レーモンド建築の‘イズム’を感じます。建築物そのものの魅力もありますが、そこを利用する人々の営みにも私は思い入れがあります。私は総務課、教務課時代に、式典等に関わる時期が結構長かったので、式典での「南山が持つ形式美」を感じてきました。また、南山では入試やオープンキャンパスなどの全学的な行事に職員が一丸となって取り組む慣習があって、大変なんだけど、実際に始まると皆が結構楽しそうにやっている。その様子を見ると、それがNanzan Mindなんじゃないかと思ったりします。
ソフトウェアとハードウェアの両輪、ですね。
三谷
あと、正門からメインストリートを歩くと校舎群が見えてくる情景は、私にとって図書館の地下で見る、背表紙がズラッと並んだ書庫と通じるものがありまして…ここも大好きな風景です。
1月のメインストリートと校舎
続いて、福田さんにとって思い出の場所は?
福田
私はレーモンド・リノベーション・プロジェクトに関わっていましたので、やはり思い入れがあるのはライネルス中央図書館です。ちょうど私が法人部門から大学へ戻ってきた2017年にレーモンド・リノベーション・プロジェクトが始まって、私は前任者から引き継ぐ形で関わることになりました。当初、図書館は改修予定ではなかったんです。
12月のライネルス中央図書館
財政的に厳しかったのですが、当時の副学長の意向で図書館も改修することが決まり、私が実質的に指揮をとることになりました。お金の算段もさることながら、新築と違って改修の場合は、関係者からありとあらゆることの確認を求められます。こちらのスタンスを明確にしておかないとブレてしまうし、それでは物事が進まないと思った私は、コンセプトを決めて、プロデューサー的な立場でプロジェクトを動かしていこうと考えました。先ほどお話した、学生時代の管弦楽団での指揮者の目線で、現場担当者の才能を引き出す役回りに徹しようと思ったのです。そこで当時の図書館長が示した「であう」「つながる」「かわる」というコンセプトを設計会社と共有して、任せるところは自由に発想してもらい具現化していきました。
「メインストリートから図書館までの動線も整備したい、でも資金が足りない」という状況を打破するために、同窓会長のところへ行って寄附をお願いして「アルムナイガーデン」が実現したりと、目的達成の方策に知恵を絞った経験と相まって、私にとって図書館は一番思い出深い場所となっています。
アルムナイガーデン(ライトアップ)
学生時代の思い出とリンクするような場所は他にありますか?
福田
管弦楽団の思い出と共にあるのは、G棟のコリドーのところです。そこでトロンボーンの練習をしていました。あとは当時のクラブハウスの1階の端の広いホールとかね。
G棟コリドー
その光景が目に浮かびます。Nanzan Mindについてはいかがでしょうか。
福田
私の学生時代、東海地区のオーケストラって大学ごとに特色があったんですよ。例えば名古屋大学は「ブラームスとはこうあるべき」「ブルックナーはこうあるべき」と理知的に考えて演奏をする。名古屋工業大学は無頼漢なイメージとかそれぞれ色があったんですね。そんななかで南山はどうかというと、一生懸命、まじめに熱く取り組む、という感じで、とにかく練習をコツコツと積み重ねて、本番ですべてのエネルギーを出しきり、演奏後は皆で泣く、そんなチームでした。目立たず地道に一生懸命努力を重ねる学生が多いんだけど、実力はある。これがNanzan Mindに通じるのかな、と今回のお題をもらった時に思いました。
『YAMAZATO60++』に向けての企画アイデア、ありますか?
YAMAZATO60プロジェクトへの企画アイデアがありましたらお聞かせいただけますか。
福田
多くの卒業生にも絡んでもらって、「南山に入ってよかった。」もしくは「 南山に子どもを行かせて良かったよね」と思ってもらえるような企画があるといいなと思いました。また卒業生がたくさんいるであろう、経済界での知名度もあがるといいなと思います。南山への帰属意識の醸成っていうんですかね。
三谷
私は具体的な企画案というよりは、「関わる人に期待したい」と思います。こういった企画を考えて実行に移す人ってそんなに多くないじゃないですか。周りの人って、とかく傍観者になりがちなので、そういった人たちが一歩踏み出して参加できるような企画を期待したいと思います。一歩踏み出すことを「機会」と捉えて、やってみよう、と思える人を増やしていきたいですね。山岸副学長がよくおっしゃるように、「コンフォートゾーンを抜けて1歩前へ」というメッセージを私からも贈りたいと思います。
児玉
山里町にキャンパス移転をして60年。私は、地域の一員としての南山大学が、地域の皆さんと昔を懐かしんだりする企画はどうか、と思いました。地域の住民の方々の中には、60年前を知っている方もいらっしゃるだろうし、新しいマンションに越してきた新しい住民の方もいらっしゃるだろうし。南山大学の構成員は移り変わっていくけど、キャンパスは昔も今も、そしてこの先もここにあり続けるのだから、地域との交流は大切ですよね。
カトリックの心を伝える大学として
では最後に、2046年に迎える南山大学創立100周年、約20年後に向けて南山大学に期待すること、という話題でこの座談会を締めくくりたいと思います。福田さんからお願いします。

福田
南山はカトリック系で、神言会の神父様たちが苦労して創立された学校だという原点に立ち返って、彼らの想いを大切に、引き継いでいって欲しいと個人的には思います。我々構成員がこの思いを意識することで、これからますます大変になるであろう大学の運営環境のなかでも希少な存在として生き残っていけるのではないかと思います。
同じカトリックでも上智大学はイエズス会が母体で、南山は神言会、と修道会の在り方も違います。ヤンセン神父から始まった、南山ならではの特色をしっかりと社会に伝えていく必要がある、ということですね。
福田
そもそも神言会が学校を作った目的は、布教活動というより「地域で教育を支えるために、自分たちが身を捧げる」という奉仕の精神に基づいているのですよ。それが巡り巡って広く宣教活動につながる、という考え方だったようです。
三谷さんはいかがですか。
三谷
私は大学というのは、「無駄」なことが許容されるところだと思っていまして、南山が持っている形式的な、いくつかある宗教行事の美しさであったり、効率一辺倒ではなく、「皆でやろうよ」ということであったり。人それぞれ「南山らしさ」は違うと思いますが、敢えて「20年後も南山らしくあって欲しい」とお伝えしたいと思います。
では児玉さん、大トリでございます。
児玉
福田さんの話とも少しかぶるのですが、他のカトリック大学の関係者と会ったりすると、学長も理事長も聖職者ではなく、企業経営者が就いている大学もあるので、カトリックの精神を繋いでいくことがなかなか難しいと感じることがあります。だからこそ、南山は神言会の方々のご尽力によるカトリックの大学だということを長く伝えていく大学であって欲しいと思います。この先100周年に向けてのモデルチェンジとしては、さまざまな可能性があるでしょう。神言会から離れてアカデミックな世界へいくという選択肢もあるかもしれません。でも、何かを付け足したり、規模の拡大をめざすのではなく、核心のところは残して欲しい。あとは、卒業生や職員のOB・OG、地域の方がふらっと立ち寄れるような、地域にひらかれた、かつ‘居場所のある’キャンパスになるといいなと思います。名誉教授室はあるけど、名誉職員室はないので、まずはそこからかな。
卒業生と現役学生が日常的に交流できて、地域の方にも開かれた大学。セキュリティーとのトレードオフかもしれないので、課題も多いかもしれませんが、根っこにある「人間の尊厳のために」という温かな土台がこの先もずっと続くことを願って、この『YAMAZATO60+』座談会企画を締めくくりたいと思います。皆さん、貴重な時間をありがとうございました。




