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学長からのメッセージメイルマガジン「EPISTOLA」

No.28「60回から、120回へ向けて」

2019年7月17日

今年の上南戦は、第60回大会となりました。1960年以降、本大会を一度も途切れることなく開催してきた、両大学の各時代の大会運営関係者の皆さんのご尽力に、心よりの感謝を表します。

今回は上智大学が会場校を務めてくれました。開会式は祈りの集いで始まり、南山の学生歌と上智の校歌の斉唱、そして、応援団のエールの交換が会場の雰囲気を一気に盛り上げてくれました。

南山大学のWebページで、上南戦の歴史・沿革を確認してみると、記念すべき第1回大会は、1960年6月25日・26日に、南山大学で開催されたと記録されています。私が、注目した点は、上南戦が始まった経緯です。前年の1959年9月に伊勢湾台風が東海地方を直撃しました。被災者への救援活動で奔走していた本学の学生たちの代表が、同年秋に青山学院大学で催された、全国キリスト教系大学連盟総会で見舞金を受領した機会に、参会していた上智大学の学生代表と意気投合して、両大学の対抗戦開催のための準備を開始したそうです。そして、同ページには、1959年からさらに遡る両大学の交流の前史についても記録されています。それは、本学が文学部1学部の頃の1949年に、南山から上智を訪れて交流試合を行ったということです。翌1950年には、今度は上智が南山を訪れて試合をしたのだそうです。残念ながら、この対抗戦は1955年に一旦中止になっていますが、その5年後、先に記したとおり、両大学の学生の出会いを経て、両大学間の総合対抗運動競技大会という歴史あるイベントが再開されるにいたりました。

本学の上南戦実行委員会は、60回大会のスローガンに、Fight for Prideを掲げてくれました。この表現に、私は1960年以来、毎年1回ずつ対抗戦を戦い、戦績を積み上げてきた本学選手団のPrideを感じました。人間の「人生」と同様に、選手たちは毎回の試合で勝利の喜びを味わえるわけではなく、悔しく辛い思いをする試合も経験しています。しかし、勝っても負けても、それがその年の対抗戦の自分たちの試合結果です。

今回、60回ということで、私は、選手や大会関係者の皆さんに、人間でいう「還暦」の話をし、生まれた年の干支に戻る年ということに掛けて、「生年に戻る」すなわち「初心に戻って」今年の試合を戦い、同時に、これからの60回を目指して、「新たにスタート」してください、と声を掛けました。次の120回を目指して、両大学の交流を、より豊かで多彩な価値が発見できる交流の機会に育てていくことができればと、願っています。

上南戦第60回を記念して上智大学で開催された写真展の様子

南山大学長 鳥巣 義文

発行人:南山大学長
発行 :南山大学学長室 (nanzan-mm-admin@ic.nanzan-u.ac.jp