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学長からのメッセージメイルマガジン「EPISTOLA」

No.27「パッヘ神父と聖パウロ教会とレーモンド建築」

2019年6月19日

先月下旬、南山大学では創立記念(5月26日)を祝いました。このところ、私自身は創立当時の史資料を手に取る機会が多くなっています。そのような中、戦争が激しさを増して、南山中学校の校舎(現ライネルス館)が使用できなくなっていた1944年頃に、初代学長パッヘ神父が、教育活動のできない名古屋を離れ、しばらくの間、教会(小教区)の主任司祭として軽井沢に赴任していたということを知る機会がありました(※1)。そこで、軽井沢のどこの教会に赴任されたのかを調べてみようと思いました。このことは、インターネット検索で、意外に簡単に確認することができました。

当時、パッヘ神父が赴任したのは、聖パウロ教会でした。公式には、この教会はカトリック横浜教区軽井沢教会と呼ばれるようですが、私自身学生の頃から馴染みのある教会です。今回、かつて、パッヘ神父がこちらで活動されていたということを確認し、改めて親近感を持ちました。この聖パウロ教会は、旧軽井沢にあります。同教会のホームページの教会概要によれば(※2)、1945年にパッヘ神父が、同僚のボルト神父と着任したことが記録されています。その翌年、1946年には、やはり神言会のホルツァー神父が、主任司祭として着任したということです。終戦の年の前後に、南山学園の先達たちは、軽井沢でも活動していたことを確認することができました。

ところで、私自身は、1974年に初めて聖パウロ教会を訪問しました。当時、この教会が建築家アントニン・レーモンド氏によって設計された建物とは知りませんでした。言うまでもなく、アントニン・レーモンド氏は南山大学の現在のキャンパスを設計した方でもあり、私は知らず知らずのうちに、二つの場所でレーモンド建築に接していたのです。その後も、夏休み期間に、私は旧軽井沢にある神言会修道院から比較的近いところにあるこの教会をたびたび訪れていました。そして、今年3月、アントニン・レーモンド氏のご令孫である写真家のシャーロット・レーモンド氏が本学のキャンパスを訪問され、改修中の初期の校舎やレーモンドスタイルの新校舎を見学された折に、私は日本とアメリカのレーモンド建築についていろいろとお話を伺う機会を得ましたが、改めて聖パウロ教会のことを思い出しました。

ちなみに、私は、聖パウロ教会聖堂内の天井を構成する木の梁のイメージが、本学のキャンパス東端にある神言神学院地下聖堂のコンクリートの梁に通じるところがあるのではと、素人の勝手な想像を膨らませて、楽しんでいます。

聖パウロ教会を訪れる鳥巣学長(1974年)

神言神学院の地下聖堂

※1 「ここから、これから、 南山大学附属小学校創立10周年記念誌」(南山大学附属小学校、2018年)22頁

※2 カトリック教会運営委員会「カトリック軽井沢教会ホームページ 沿革」カトリック軽井沢教会(2019年6月3日付)
https://karuizawa-catholic.jimdo.com/教会の概要/沿革-1/

南山大学長 鳥巣 義文

発行人:南山大学長
発行 :南山大学学長室 (nanzan-mm-admin@ic.nanzan-u.ac.jp