文字サイズ
  • SNS公式アカウント
  • YouTube
  • Facebook
  • X
  • Instagram

学長からのメッセージメイルマガジン「EPISTOLA」

No.26「主税町教会とライネルス館を訪問して」

2019年5月15日

先月中旬、過ごしやすい週末に、本学の先達と関係の深い建物を訪問しました。まず、名古屋で1932年に南山中学校(旧制)を設置したヨゼフ・ライネルス神父が、当時、北陸三県から岐阜県と愛知県までを統轄するカトリック名古屋知牧区長(現在の教区長)として、司牧活動の拠点にしていたという「主税町(ちからまち)教会」を訪れました。名古屋市地下鉄なら、桜通線高岳駅で下車し、徒歩で北へ向かい、東片端の交差点を越えて少しのところにあります。

この教会堂は神言会が名古屋地域での活動を受け継ぐ前に、1904年にパリ外国宣教会のシェレル神父によって建てられたということです。神言会の創立者アーノルド・ヤンセン神父が、日本に宣教師を派遣する決断をした1906年の2年前です。ライネルス神父は1922年からここを活動拠点とし、1930年には教会堂のわきに知牧区長館(現在の司祭館)を建てました。また、1933年にはアロイジオ・パッへ神父が来日しており、昨年10月に刊行された『南山大学附属小学校創立10周年記念誌』(※1)には、主税町教会を拠点にして活動していた「名古屋カトリック少年団」(現在のボーイスカウト名古屋十三団)の少年たちと関係者が、ライネルス神父またパッへ神父とともに撮影に応じている写真が掲載されています。戦火に焼けることなく現在も残る教会堂と司祭館は、この地域の景観を構成する建造物として愛されています。

つぎに、現在、南山学園の史資料館「南山アーカイブズ」として重要な役目を担っている建造物、通称「ライネルス館」を訪問しました。名古屋市地下鉄なら、鶴舞線いりなか駅で下車して、南山教会または南山学園講堂の方へ徒歩数分のところにあります。ライネルス館は南山学園の歴史とともに歩んできた建造物です。世代の異なる卒業生の口からは、中学生時代の校舎としての思い出、あるいは大学の校舎として通った思い出など、いろいろと出てきます。私は、ちょうど大学資料室をライネルス館へ移転し、ライネルス館を学園全体の「アーカイブズ」へと再編成した時期に、組織替えの取りまとめ役を務めていました。現在のライネルス館は、学園内各単位の興味深い史資料が集約されるばかりでなく、卒業生の学生、生徒、児童、園児であった当時の思い出の記録なども集約される拠点となっています。そのままでも歴史的に重要な建造物ですが、その内実をますます豊かにするのは、「アーカイブズ」へ寄贈される南山学園関係者の思い出の記録ということができるかもしれません。EPISTOLA読者の中で、関心のある方はライネルス館で開催される展示会(※2)を訪問されてはいかがでしょうか。

※1 「ここから、これから、 南山大学附属小学校創立10周年記念誌」(南山大学附属小学校、2018年)22頁

※2 南山アーカイブズWebページ:https://www.nanzan.ac.jp/archives/

南山大学長 鳥巣 義文

発行人:南山大学長
発行 :南山大学学長室 (nanzan-mm-admin@ic.nanzan-u.ac.jp