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学長からのメッセージメイルマガジン「EPISTOLA」

No.23「新年に思うこと、その2」

2019年2月20日

先月のEPISTOLAでは、今年元号が変わるのを機に30年前を振り返り、私の経験をご紹介しました。当時と今を比べてみると、確かに、技術革新が私たちの生活にもたらした利便性がとても大きいことを確認できる一方で、しかし私たち人間は30年前と現在とで本質的に何も変わっていないのではないかとも感じます。それというのも、深入りする必要はないと思いますが、欧米から入る報道によれば、グローバル化が進んだ今、ある人々は自分たちで協力して築き上げた欧州連合(EU)から出ていこうとしています。また、ある人々は自国の国境に再び壁を造ろうとしています。東西冷戦が続いていた30年前に、自分や家族の生死をかけて、東西を隔てていた壁を壊した人々の思いは忘れ去られたかのように思えます。

今回は、これから30年後の私たちの生活を想像してみましょう。新聞やテレビの報道では、科学技術の一層の進歩の下で、今よりももっと利便性の高い環境の中で私たちは生活するようになるだろうという識者の見解が紹介されています。実際、AIやIoT(Internet of Things、インターネット通信機能をもったモノのこと)、またロボットなどの進歩がもたらす豊かな生活や社会環境が話題にならない日は少ないように感じます。しかし、テクノロジーの進歩には影の部分も指摘されます。いわゆるサイバースペースには、すでに現実社会で生じている諸問題と同じような問題があります。さらに、「遺伝子」や「脳」のようなキーワードと先端テクノロジーが結びつく領域では、「倫理的な問題」が指摘されています。確かに技術革新の下で、以前不可能であった事柄に私たち人間が手をつけることが可能になりました。ただし、それはどこまで許されることなのか。何が許され、何が許されないのか等々。私たちの身近で起こる変化であるからこそ、私たち自身が考え、また答えを見出していく必要があります。

ところで、30年前から私たち人間はどれほど進歩したのかと問われると、あまり進歩していないと答えざるを得ないように感じます。それでは、逆に30年後にはどれくらい進歩していると思うかと問い直されても、やはり、あまり変わりはなさそうですとしか答えられない気がします。なぜかというと、そもそも人間については「進歩」という表現はなじまないと思うからです。

ここで、私には本学の教育モットーが新たに探究すべきテーマとして思い浮かびます。手前味噌で申し訳ありませんが、それは「人間の尊厳のために(Hominis Dignitati)」です。これから加速するといわれる技術革新の未来世界で、現実社会においてもサイバースペースにおいても、私たち人間が多様性を認め合い、共生・協働しながら平和な世界を切り拓くためのキーフレーズはこの言葉以外にないのではと感じます。この言葉を提案した本学の先人たちには先見の明があったということでしょう。このモットーは普遍性を有し、多くの可能性を含んでいます。また、単に「人間」を問うのではありません。「人間の尊厳とは何か」を問うています。加えて「人間の尊厳のために」というように「ために」という言葉が添えられています。これは重要な点です。ただ「人間」あるいは「尊厳」の定義づけをするのではなく、私たちの実際の生活の中で、「人間の尊厳」の「ために」何をなすべきか、という実践へと促す言葉だと思います。

南山大学長 鳥巣 義文

発行人:南山大学長
発行 :南山大学学長室 (nanzan-mm-admin@ic.nanzan-u.ac.jp