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学長からのメッセージメイルマガジン「EPISTOLA」

No.22「新年に思うこと」

2019年1月16日

年の初めのEPISTOLAをお届けするにあたり、読者の皆さんにとって、今年一年が実り豊かな年になりますようお祈りいたします。

今年は5月から新たな元号に変わることになっています。年末年始に平成の30年間を振り返った方も多いのではないでしょうか。私自身は30年前の「昭和」から「平成」への元号の変わり目に、学位取得のためヨーロッパに滞在していました。留学先のオーストリアのウィーン大学で研究をまとめており、文献確認や論文執筆で毎日忙しくしていました。そのため平成元年・西暦1989年を振り返ると、留学中のことが思い浮かびます。2つご紹介します。

その1つは東西冷戦の終結です。1989年11月に東西ドイツ分断の象徴であったベルリンの壁が若者たちの手によって壊されていくニュースが報じられました。その映像に記憶のある方もいらっしゃることでしょう。当時、既に8月から冷戦終結の予兆があり、東ドイツの人々が、既に民主化を進めていたハンガリーを通って、西側のオーストリアに移動してきていました。この出来事は「汎ヨーロッパ・ピクニック」と呼ばれました。要するに、ハンガリーとオーストリアの人々が手助けして、東ドイツの人々の休暇旅行を装った国外脱出を実現した出来事でした。ウィーン郊外にある修道院では広い庭を活用し、いくつものテントを設置して避難民を受け入れていました。

2つ目はインターネットとPC(パソコン)普及の始まりです。もっとも私は留学先の一学生でして、当時、ネットに接続できる高額なコンピュータに触れる機会はありません。ただ、ドイツ語で学位論文を執筆するためにデスクトップ付きで記憶容量の大きな電子タイプライターを入手できました。今は、PCがあるのでこのタイプの機器を使う学生はいません。私が南山大学の学部卒業論文を書いた頃は、まだ原稿用紙に手書きという時代でしたので、デスクトップ上で文章を繰り返し修正し、章ごとにファイルに保存した上で、印字もできる電子タイプライターには大いに助けられました。こうして30年前、ベルリンの壁崩壊のニュースを見聞きしながら、研究に一区切りつけ、同じ年のクリスマス前に学位論文をウィーン大学に提出しました。

あれから30年が過ぎて、ヨーロッパの現状を見ると、難民や移民に寛大な政策を取ってきたドイツのアンゲラ・メルケル政権は、その支持率を大きく落としています。ヨーロッパの他の国々でも同様の傾向が見られます。一方、現代の学生は、PCあるいはタブレットやスマートフォンを使いながら毎日生活しており、30年前の学生には想像できなかったほど便利な機器を活用して卒業論文や学位論文の作成に挑んでいます。

ウィーン大学に提出した鳥巣学長の学位論文

今回のEPISTOLAは、30年前の私の記憶を辿りました。皆さんご自身の思い出の出来事はどのようなものだったでしょうか。それでは、今年も好いこと嬉しいことがたくさん実現することを期待しながら、元気に新年のスタートを切ることにいたしましょう。

南山大学長 鳥巣 義文

発行人:南山大学長
発行 :南山大学学長室 (nanzan-mm-admin@ic.nanzan-u.ac.jp