YAMAZATO60
学部長が語る南山大学
Faculty of Foreign Studies
「教育とは、可能性を拓くこと」
外国語学部長
花木 亨
HANAKI Toru
キャリアを更新した20代
花木先生は2007年に南山大学に着任されたそうですが、それまでの歩みや南山との縁についてお聞かせいただけますか?
花木氏
私は名古屋育ちで、学生時代から南山大学のことは知っていました。大学卒業後に就職したのですが、学び直したいという気持ちが芽生えてアメリカのオハイオ大学の大学院でコミュニケーション学を専攻し、博士号まで取得。2007年に南山の英米学科の講師として日本に戻ってきました。
「コミュニケーション学」とは、具体的にどのような学問なのでしょうか?
花木氏
アメリカではコミュニケーション研究が盛んで、わかりやすく言うなら、会話はもちろんメディア、政治、組織など人間の活動全般を「コミュニケーションの切り口で見る」という学問です。
南山の外国語学部に対して、私は勝手に「言語」というイメージを抱いていました。
花木氏
文学や言語学など、言語寄りのこともできますが、実際は政治、経済、社会、コミュニケーションと、学びの領域は多岐にわたります。外国語学部での学びは、高校までの「知識を詰め込む勉強」の延長ではなく、学生自らが主体的に興味や関心を広げ、深めていくものです。私たちの役割は、彼らの可能性を引き出すことだと思っています。
着任当時は私も30代前半で学生と年齢が近かったのですが、あれから17年が経ち、世代も離れてきました。私の学生に対する姿勢は変わらないつもりなのですが、学生から「花木教授」と畏まったメールが届くと、時の流れを感じるとともに学生から見た私の立場も変化しているのだと感じます。
自然と調和したキャンパス
「Beautiful Campus」にちなんで、先生のお気に入りの場所をお聞かせいただけますか。
花木氏
特定のスポットというわけではないのですが、木々と建物が調和していてキャンパス全体が綺麗ですよね。建物はコンクリートで無機質ですが、絶妙な朱色というかオレンジというか、独特の色使いに味わいがあって「南山ならでは」の雰囲気を醸し出していると思います。私はL棟の研究室にいる時間が長いので、馴染みがあるのはL棟でしょうか。1980年代に建てられた建物で、私にとって落ち着く空間です。普段は授業や会議で忙しくてなかなか時間がとれませんが、夏休みなど人が少ない時期には、研究室での執筆活動に行き詰ると、キャンパス内を散歩して新たな着想を得たりしています。
建築時期が数十年ほど違っても違和感なく調和しているのは、レーモンド氏によるキャンパスの設計思想が今日まで脈々と息づいている証ですよね。
確かにそうですね。新しい建物が増えて進化しているけれど、世代を超えてキャンパスの雰囲気は変わらない。ここには相当の努力が必要だったのではないかと思いました。
「良さ」を深堀りしてみる
花木先生にとって「Nanzan Mind」とは?
花木氏
これは表現が難しい。バランス、「一定の信頼感を与える感じ」と言ったらいいでしょうか。偏差値や知名度など世間の物差しだけでは測れない「良さ」が南山の学生にはあると思うのです。いろんな意味での「グッド」があって、それらがぶつかり合わずに高め合って1つにまとまっている。お互いに嫌な気持ちにならないよう配慮した振る舞いができる学生が多いように感じます。根底にあるのは「認め合う心」でしょうか。学生のなかにはとても活発な人がいる一方で、おとなしい人もいて、どちらかが優勢になるわけでもない。包容力とか寛容、多様性などと表現できるのかもしれません。そういう要素が全部つまって「調和している」と私は思います。
職員の方々にも同じことが言えます。南山は、伸び伸びとして自分の持ち味を安心して伸ばせるところ、皆が「そのままの自分」で過ごせる場所なんじゃないかな。
私の学生時代を振り返っても、南山で「多様性」は当たり前でした。つまり本質的なところは変わっていない。
花木氏
おっとりしているというか、世の中の動きを見据えつつも、それに振り回されない風潮はあるのかもしれませんね。でも最近は、今回のプロジェクトもそうですけど、副学長たちの動きが早いから、私も一緒に渦に巻き込まれています(笑
先生方を含めていいバランスですね。いろんな方がいて、良いとか悪いとかではなく、そのままの状態で多様性を内包している(笑
興味・関心を引き出す
最後に唐突な質問ですが、花木先生は学生からどのように見られていると思われますか?今回のインタビューで、先生はマイペースというか、ふわふわした感じというか、つかみどころのない不思議な雰囲気を醸しだしていらっしゃると感じたので、ちょっと聞いてみたくなりました。
花木氏
学生から「不思議」とか「飄々としている」「宇宙人」「妖精」と評されることがたまにあります。これを私は光栄だと思っていて。
「光栄」とはどういうことでしょうか?
花木氏
私は教える側ですから、専門分野に関しては学生よりも私の方がおそらく知識量が多いだろうし、日頃から読んだり書いたりしているので、学生に言葉がキツく届いてしまうのではないかと心配しているんです。彼らとは歳も違うし、立場も違うから、言葉が鋭く響いてしまうのではないかと心配していて、そういう風にしたくないという思いがあります。教育とは「引き出す」ことですから。
なるほど。学生が受け身になりがちな学びの場を、敢えて花木先生は「待つ」ことにより学生からの自発的なアプローチを意図するわけですね。その反応が「宇宙人」とは思わず笑ってしまいましたが、どこかで納得する自分がいたりします(笑
花木氏
教育の現場では、「知識量の多い先生が学生に知識を与える」という一方通行な教育スタイルが採用されがちです。でも私は「学生はすでに考えや可能性を持っている」から、大学での私たちの役割はその可能性を「引き出す」だけなのではないか、と考えています。その想いから、特にゼミでは私が喋り過ぎないよう心がけています。
素敵なメッセージをいただきました。アメリカの大学院で博士号まで取得された先生は、アメリカの学生と比べて日本の学生は勉強量が少ない、などと思われることはありませんか?
花木氏
それはないですね。大半がキャンパス内の寮に住んで勉強に集中するアメリカの大学生とは違い、日本の大学生は通学に時間がかかったり、アルバイトもしていて勉強以外にもすることがたくさんあります。彼らはすでにフル稼働していますから、そこに私が何か言う必要はないと思っています。
飄々とした雰囲気から紡ぎ出される独特の言葉づかいに、すっかり花木先生のペースで終始したインタビューでしたが、ハッと気づかされる鋭いメッセージを受け取りました。‘楽しくも気が抜けないひととき’となりました。
Profile
外国語学部長
花木 亨 教授
専攻分野
コミュニケーション研究
主要著書・論文
- 『大統領の演説と現代アメリカ社会』大学教育出版(2015)
- "Justice and Dialogue in Japan's Top Press: Philosopher Michael Sandel as Cultural Authority," Communication, Culture & Critique, 7, pp. 472-486.(2014)
- 「アメリカン・ドリームの物語: コミュニケーション研究における五つの語られ方」『日本コミュニケーション研究』第43巻第1号、pp. 29-47.(2014)
将来的研究分野
異文化、政治、メディアとコミュニケーション
担当の授業科目
「異文化コミュニケーション」、「政治とコミュニケーション」、「メディアとコミュニケーション」他