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学長からのメッセージメイルマガジン「EPISTOLA」

No.16「上南戦の祈念ミサ」

2018年7月18日

本学と上智大学の間で続いている行事に「上南戦(上智大学・南山大学総合対抗運動競技大会)」があります。今年で第59回になりました。今回のEPISTOLAでは、その祈念ミサから、私の講話の一部をご紹介します。

――上南戦・祈念ミサにお集まりの皆さん、こんにちは。しばらくの間、聖書箇所をヒントに、イエスの言葉の意味を味わいながら、ご一緒に考えてみましょう。

まず、『マタイによる福音書』(7章13-14節、24-27節)のたとえを確認しましょう。イエスは、開口一番、「狭い門から入りなさい」と言います。これは、言い換えるならば、何事にも苦労は付きもので、自分が掲げた目標を達成するためには、それ相応の努力をする必要がある、ということでしょう。そのようなプロセスを、イエスは「命に通じる門はなんと狭く、その道も細い」と説明しています。これと正反対のプロセスは、「広い門」で、「その道も広々としている」と言われています。 今年の上南戦に向けて、厳しい練習や体調管理を行ってきた皆さんであれば、この「二つの門」のたとえは分かりやすいのではないでしょうか。

続けて、イエスは「岩の上に家を建てた人」と「砂の上に家を建てた人」のたとえを持ち出します。ここでは、それぞれの「家」がどのような家なのかという点について何も触れられていません。建てられたそれぞれの家は、外見上で優劣をつけることのできないものだったのでしょう。
実際に、このたとえを語るイエスの視線は、「家」そのものではなく、家の基礎になっている「土台」の方に向けられています。その「土台」の一つは「岩」であり、もう一方は「砂」です。はた目には、同じように立派な家であっても、それが置かれた土台がしっかりとしていない場合に問題が残ります。強い雨風が押し寄せるような事態になると、砂地の上に建てられた家は簡単に倒れてしまいます。
私たちは、ここでイエスが語る「土台」について、さまざまに解釈することができます。上南戦に絡めて考えてみましょう。例えば、ある試合に臨むときの「戦術の選択」、あるいは、予定されている試合前の「練習プランの選択」などが思い浮かびます。いずれにしても、「土台」選びには賢明な判断が必要です。そして、そのような判断のためには、日頃から試合や練習の全体を見渡し、個々の選手の特性などを把握している人からのアドバイスに耳を傾けることも必要になります。興味深いことに、『福音書』の中で、イエスは、「岩の上に家を建てた人」を、「私の言葉を聞いて行う人」に比べています。

さて、『フィリピの信徒への手紙』(3章12-16節)にも目を向けてみましょう。
この手紙の中で、最初に注目されるのは、「なすべきことはただ一つ……神が……お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」という箇所でしょう。これから試合に臨む選手には、ぴったりの言葉です。
ただし、パウロは他にも、興味深い言葉を付け加えています。「あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます」また「いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです」と語っています。ここには、当時の教会が抱えていた問題について、意見の相違などがあった様子がうかがえます。そこで、パウロは、二つ目の言葉にあるとおり、「到達したところ」すなわち意見の一致を見た内容や結論を土台にして、そこからさらに先へ進むことを提案しています。

皆さん、今年59回目の開催となる私たちの上南戦は、両校が共に築いてきた「友情と相互理解」という伝統の上に成り立っています。これこそ、イエスのたとえにあった堅固な「岩」にたとえられると思います。上南戦が、神に祝福され、この大会に関わるすべての人々が、感動、勇気、希望を共有できることを祈念いたしましょう。

南山大学長 鳥巣 義文

発行人:南山大学長
発行 :南山大学学長室 (nanzan-mm-admin@ic.nanzan-u.ac.jp