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『卒業生があるく』

学食ぶらり旅 2|R棟・旧第1食堂の記憶

“1食”は仲間が集まる場所

図書館側にも行ってみましょうか。

この砂利道の感じはどうですか?

青山

ここは変わりませんね。でも、自販機はありませんでしたね。当時はペットボトル飲料がそんなにメジャーではありませんでした。水道水を飲んでいましたね。

そうそう、この小高い場所の中腹あたりから、食堂の中に入れたような記憶ですね。

佐々木

ここにディスプレイがあって、食券が買えて、おばちゃんが並んでて…!

青山

“1食”自体はけっこう広かったんですよ。

学生数が増えてきた時代ですよね。当時の記録を見ていると、学生食堂を大きくしろ、なんてクレームもよくきていたみたいです。第3食堂もその頃に作られました。

青山

…第3食堂?体育センターの奥のカフェ、みたいなところですかね??

佐々木

それは、「アインス」かな。

青山

ケーキセットが500円くらいで売っていました。

500円!当時にしては、けっこう高い…

佐々木

高いんですよ。だからしょっちゅうは行けない。当時の私たちにはおしゃれすぎましたね。

青山

僕も数回しか行ったことないですね。

基本は“1食”?

青山

そうですね。僕らは、昼休みに部活のみんなで場所取りをして、“1食”で集まるのが習慣になっていました。なので、1,2年生が早めに来て、場所取りをして、先輩が来たらお茶を出していました。

お茶出し!

青山

お茶を先輩に出すと、だいたい「昼飯は食ったか?」と言われ、「まだです」と言うと、「好きな物を食べろ」とおごってもらえるんですね。そうすると、少しリッチなものが食べられましたね(笑)でも、先輩より高いものは頼まない、というのが礼儀としてありましたね。

サムネイル

今ではあまりなさそうな関係性ですね。

青山

一方で、自分が先輩になると、後輩にもおごってあげたり。

だから、第1食堂が自分の中ではまさに「学食」というイメージがありますね。

当時は、“1食”が学生が一番集まる場所だった?

佐々木

携帯電話もなかった時代ですので、誰かに会おうかと思ったら、“1食”に足を運んで、その人を探すしかない。

青山

行けば誰かいるかな?って。そういうコミュニケーションを始める場でもありました。

佐々木

4限が終わったら、まずは“1食”に行く。このあたりはサイクリング部のエリア、このあたりは少林寺のエリア、なんて決まっていました。かと言って、それぞれのエリアに他の人が座っていても怒る人がいる訳でもなく…。

今はそんな場所がないように思います。

佐々木

スマホもありますからね。無駄な動きもしなくなりますよね。

では、食事もかねて、リアンに行きましょうか。今で言う“1食”的な場所かな。

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