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『卒業生があるく』

学食ぶらり旅 ちょこっと番外編

青山さんはどうして俳優になったの?

今回、学食ぶらり旅企画にご協力いただいた青山義典さん。南山大学の卒業生としては珍しい?「俳優」という肩書をお持ちです。どんな学生生活を過ごし、どのような経緯で俳優さんになり、今はどんな活動をしているの?少し追加でお話を聞いてみました。

青山さんはどのような学生時代を過ごしましたか?

当時は土曜日も授業があったので、ほぼ毎日学校に来ていました。少林寺拳法部に所属していたので、部活で過ごした時間が中心でした。一方で、経営学部情報管理学科の一期生として、村本ゼミでの活動にも取り組んでいました。一期生なので、面白くて、優秀な学生が多かったです。

少林寺拳法部に入ったきっかけは?

当時は、入学時に、クラブの一覧から第一希望から第三希望までを記入する決まりがあり、私は第二希望に少林寺拳法部を書きました。すると、今ではありえない話なのですが、少林寺拳法部から自宅に勧誘の電話がかかってくるんです。同じ高校出身の先輩で、「1回見学にどう?」なんて誘われて、体験に行くと、今度は「筋がいいね」なんておだてられて。

サムネイル

順風満帆な滑り出しですね。

そんな感じで続けていると、ある時突然先輩が豹変するんです。

今まで10回ほどでよかった腕立て伏せが、だんだん数が増えていき…。ゴールデンウィーク前の新歓合宿には、拳立てや腹筋を1時間半から2時間くらい“永遠に” “1食”のラウンジでやらされるようになりました。雨ざらしのコンクリートで拳もボロボロでした。

拳で腕立てをすること

まさに豹変、ですね(笑)

2年生より上の先輩たちはもっとハードなことをしていました。拳立てをしている上から先輩が重しになって乗ったり、上からサンドバックを押しつけられたり…。そんなことが後ろで繰り広げられているので、もう、唖然というか。ビビりまくりでした。だけど、声は出さないといけないので、「先輩ファイト」と言っていました。

…辞めよう、とは思わなかったですか?

当時、同期が10人くらいいたのですが、なぜか連帯感が生まれるんですね。せっかくこんな苦しいことを乗り越えてきたのに、途中で辞めてはいけない、仲間を裏切ってはいけない、という変な連帯感です。新歓合宿や夏合宿など、年に4回ほど合宿があったのですが、合宿のたびに結束が深まりました。本当によく辞めずにいたな、という感じです。

そんなこんなで1990年に無事大学を卒業し、当初は富士通に入社されました。

システムエンジニアとして、パソコン関連の技術支援部門で、社内システムエンジニア、営業、関連会社等に、技術支援を行っていました。

2000年頃にニフティに出向し、その頃から俳優を目指すようになったとお聞きしました。

32歳の時に、社会人10年目で会社での自分のあり方がつまらなく思えた頃に、今所属している劇団ひまわりの募集広告を目にして、俳優になるなら、この機会しかない、と思い込みました。後になってあの時俳優を目指していればと後悔するより、今、俳優を目指し、それでダメだったら諦めもつくという思いで、劇団ひまわりの俳優養成所に入所しました。

ご家族に反対はされませんでしたか?

あまり妻にはきちんと言わなかったですね。多分そこまで真剣ではない、と思われたのかもしれません。学生時代からどちらかと言うと、やると決めたら自分で進んでいくことが多かったです。

今はダンス公演もされているんですね。

劇団ひまわりで毎年ダンス公演をしていますが、最年長になりました。ダンスに親しみなく育ってきたので、難しいと思いながらも、俳優をやるからにはとの思いで、40歳頃からダンスを始めました。本当に遅いスタートです。その頃から、ダンス公演には毎年出るようにしています。

少林寺拳法部もそうですが、一度始めると長く続けるタイプのようですね。

逆に俳優なんかはいつでも辞められると思っています。なので、本当にマイペースにやっています。俳優業は自分で終わりと思ったら、いつでも終えられるのですが、ずっと自分のペースで続けています。生活をしていくために、普段はエンジニアの仕事もしています。その中で、ダンスはずっと続けています。

ダンスが仕事になることもあるのですか?

ミュージカルのオーディションに行ったことはありますが、やっぱりこの年になるとスッと振りが入らないですね。年を取ってから始めたビハインドです。今のダンス公演は本当に時間をかけて振りを覚えています。

学生時代の経験が今に活きていることはありますか?

少林寺拳法部として、学祭の時に演武会をやっていて、少林寺の技を使うためのシチュエーションで勧善懲悪のコメディタッチの寸劇をしていたのが、僕が俳優を始めたきっかけ、というのは全くの冗談です(笑)。ただ、やはり、アクションや時代劇を演じるうえで、少林寺拳法で得た身体の使い方などは非常に役に立ちましたね。

大河ドラマにも役付き、エキストラ含め多数出演されているようです。

役自体は、何年もやっているとそのうち少し良い役ももらえるのですが、なかなかその先が続かないんですよね。自分からあまり顔を売りに行っていないのもよくないのですが、なかなかキャスティングの候補にあがらないようです。マネージャーもすぐ変わったりするので。

厳しい世界ですね。

テレビに出て、名前の売れている人たちは本当に氷山の一角ですよね。僕らみたいな有象無象の人が目立たないところにはたくさんいて。俳優を始めた30~40代の頃は、売れたいという思いがありましたが、さすがに60近くなってきたので、年齢相応の役を、地道にもらえたらと思いながら続けています。

最後に、今の南山生にメッセージをお願いします。

学生時代を謳歌してください!

僕も会社員になった当時はこれしかないと思ったけど、ある程度続けたらまた違うことに取り組むのもありだと思います。とくに20代の若いうちは、色々な事を試しながら模索していけばいいと思います。僕も決して良い思いをしている訳ではないけど、だからと言って今ネガティブになっていないのは、自分が選んだことだからです。後になって後悔するよりは、自分で選択して良かったなと思えれば良いのです。

プロフィール

青山義典

劇団ひまわり
入学年 1986年
学部学科 経営学部情報管理学科(当時)
所属ゼミ 村本ゼミ
所属部活 少林寺拳法部(副将)
印象に残っている学食やメニュー名 第1食堂のB定食
印象に残っている授業や先生 村本先生のプログラミング言語Pascalの講義
印象に残っているキャンパス内の場所 第1食堂の二階の外のラウンジスペース

主な出演

  • NHK大河ドラマ「べらぼう」、「光る君へ」、「八重の桜」、「江〜姫たちの戦国」等、役付き、エキストラ含め、多数の作品に参加。
  • フジテレビ「競争の番人」、TBS「集団左遷!!」、「A LIFE 〜愛しき人〜」等
  • バラエティー番組の再現ドラマ等
  • TVCM「しんくみタウン」篇(放送中)、WebCM、『JAL浪漫旅行2018奄美大島「旅立ち」篇』等
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