南山大学

 

南山大学の歴史

歴代学長の紹介

[初代] アロイジオ・パッヘ

在任期間:1949年〜1957年
所属:文学部教育学科

[2代目] 沼澤 喜市

在任期間:1957年〜1972年
所属:文学部人類学科

[3代目] ヨハネス・ヒルシュマイヤー

在任期間:1972年〜1983年
所属:経営学部経営学科

[4代目] ロバート・リーマー

在任期間:1983年〜1993年
所属:外国語学部英米科

[5代目] ハンス ユーゲン・マルクス

在任期間:1993年〜2008年
所属:人文学部キリスト教学科

[6代目] ミカエル・カルマノ

在任期間:2008年〜2017年
所属:人文学部心理人間学科

[7代目] 鳥巣 義文

在任期間:2017年〜現在
所属:人文学部キリスト教学科

南山大学開学への歩み


南山中学第1会新入生(61名)記念撮影


中学初期の教職員。中央はライネルス師、その隣はパッヘ師、右端は音楽担当の長松一枝

南山中学校(旧制)の設置

南山学園の母体は神言修道会であり、その起源は、昭和7年(1932)に誕生した南山中学校(旧制)にさかのぼります。早くから布教とともに教育の重要性をとなえた神言修道会の意志を受け、名古屋教区長のヨゼフ・ライネルス神父は、資金確保のために欧米を巡歴するなどの苦労を重ねた末、教区長就任から6年目に南山中学校を設置するに至りました。木立に囲まれた丘の上に立つ明るい鉄筋コンクリートの校舎は近代的な魅力にあふれ、当時の人々の関心を大いに集めたと伝えられています。

南山外国語専門学校の設置

第二次世界大戦の苦難の時代を経て、終戦直後の昭和21年(1946)には、南山外国語専門学校が設置されました。当時、中部地方には同種の外国語専門学校はなく、また人々は外国語や外国文化への関心を高めていたこともあり、設置後間もなく多くの学生を集めるようになりました。この南山外国語専門学校がのち、名古屋外国語専門学校に改称され、南山大学へと発展していくことになります。

南山大学の誕生


大学開学記念式典


1950年代初期の登校風景

南山大学の開学と総合大学への構想

昭和24年(1949)、名古屋外国語専門学校を前身として、南山大学が開学しました。開学当時は、文学部英文・仏文・独文・中国文の1学部4学科からなる大学であり、定員は100名でした。しかし、初代学長に就任したアロイジオ・パッへ神父は大学構想段階からすでに、理想は外国語大学ではなく、アカデミズムを重視した総合大学であることを掲げており、順次、学部・学科の増設をはかることを計画していました。そして昭和27年(1952)には、第2の学部として社会科学部(社会学科、人類学科)の増設を実現しました。

Hominis Dignitati(人間の尊厳のために)

昭和27年(1952)、南山学園は創立20周年を迎え、この年に大学の教育モットーとして、「Hominis Dignitati(人間の尊厳のために)」が採択されました。これは現在に至るまで、学園全体の建学の精神を示す言葉として大切に受け継がれ、学生や卒業生、教職員の心に息づいています。

飛躍する南山大学


1963年10月の工事状況(南側から臨む)


東南より見た新キャンパス。北端の空地は体育館用地。野球場は後にグリーンエリアとなる。

山里町の新キャンパスへ

昭和39(1964)年、南山大学は五軒家町(現在の南山短期大学、南山高等・中学校所在地)のキャンパスから、山里町(現在の大学所在地)のキャンパスへと移転しました。著名な外国人建築家であるアントニン・レーモンドよって設計されたキャンパスは、丘陵地の起伏と自然を最大限に生かし、また美観と安全を考えて電線をすべて地下に設置するなど、実に先進的なものでした。丘を貫く一本のメインストリートに沿って効率的に校舎群を配置した設計は、40年以上を経た今もその面影を十分に伝えています。

学部・学科を整備し、総合大学へ

新キャンパスへの移転は、本格的な総合大学化を見越したものでもありました。昭和35年(1960)には社会科学部社会学科を母体として経済学部(経済学科)を、昭和43年(1968)には実業界からの期待を受けて経営学部(経営学科)を設置するなど、学部・学科の整備は着々と進められました。開学当時、1学部4学科だった南山大学は、約20年後の昭和40年代半ばには4学部11学科へと大きな発展をとげました。

教育・研究の拡充


人類学研究所附属陳列室

研究拠点としての南山大学

教育の場であるとともに、すぐれた研究の場であることは、南山大学が開学当初から描いていた理想のひとつでした。この理想を実現すべく、開学の年(昭和24年)に早くも、人類学民族学研究所(のちの人類学研究所)が誕生したのを皮切りに、次々と研究所・研究センターを設置していきました。また昭和33年(1958)には南山大学初の大学院として社会科学研究科(のちの文学研究科)を設置し、現在は7つの研究科を展開するにいたっています。

国際教育への深化と情報化社会への対応


ハーバード大学グリークラブが中国・日本への演奏旅行のとき来学し、メイルクワイヤーと交歓演奏会を催す(1982年6月)

国際教育の進化と深化

カトリック神言修道会を母体とし、外国語専門学校を前身とする南山大学は、開学当初より国際教育を核とし、その発展をはかり続けてきました。昭和49年(1974)に設置された日本研究センター(外国人留学生別科)は、こうした国際教育のひとつの象徴といえるものでしょう。これは外国人学生をキャンパスに迎え、1年間にわたって日本語と日本文化を教授するものです。設置直後よりアメリカをはじめとした諸外国の大学・研究機関から積極的な関心が寄せられ、南山大学の名を世界に示すことにもつながりました。

法人合併による新たなる出発



自然の地形を活かして建てられた瀬戸キャンパス

法人合併による新たな出発

平成7年(1995)、南山学園は名古屋聖霊学園と合併し、将来に向けて新たなスタートを切りました。昨今の厳しい教育環境のもとでカトリック教育を守り、発展させていくために、建学の精神を共有する2つの学園が合併を実現したことは、今後の高等教育機関のあり方を示すモデルケースとして、大きな注目を集めました。

瀬戸キャンパスの設置と新学部

法人合併を契機に、瀬戸キャンパスの開設計画に取り組み、平成12年(2000)、同キャンパスに総合政策学部と数理情報学部を設置しました。また同時に名古屋キャンパスの文学部と外国語学部の大幅な改組改編にも着手し、同年、新たな人文学部と外国語学部へと生まれ変わりました。これにより、南山大学は文系・理系の7学部を擁する学際的な総合大学として、新たな段階へ進むことになりました。

総合教育の完成を目指して


南山大学附属小学校


R棟


S棟


Q棟

南山大学附属小学校の設置

平成20年(2008)3月22日、南山大学附属小学校が開校しました。南山学園としては、昭和11年(1936)に一度南山小学校を開校し、戦時下の社会情勢の中、昭和16年(1941)に名古屋市へ移管された経緯があり、今回の南山大学附属小学校の設立は、新設であると同時に復活でもあります。

南山短期大学の名称変更とキャンパス移転

平成23年(2011)4月、南山短期大学が南山大学短期大学部に名称を変更し、名古屋キャンパスに移転しました。またこれにあわせてR棟が建設されました。R棟には、これまで名古屋キャンパスに散在していた英語教育センター、ワールドプラザ、国際教育センターといった施設が集約され、国際交流の新たな拠点が誕生することになりました。

キャンパス統合と新学部設置

平成19年(2007年)に立案された南山大学グランドデザインに基づき、平成27年(2015年)に瀬戸キャンパスにあった理工学部と理工学研究科(大学院)を名古屋キャンパスへ移転し、これに合わせてS棟を建設しました。平成29年(2017年)には新たに国際教養学部を設置し、さらに瀬戸キャンパスにあった総合政策学部と社会科学研究科総合政策学専攻(大学院)を名古屋キャンパスへ移転し、全学部・全学科を名古屋キャンパスへ統合しました。また総合政策学部の移転および国際教養学部の設置に合わせてQ棟を建設し、情報センターおよび国際センターも設立しました。すべての教育資源を一つの場所に集約することで、他学部・他学科間での交流を活性化し、学生・教員同士がお互いの違いを認め合い、協力しながら高め合っていける環境を創出していきます。

変わるもの、変わらないもの

こうして南山大学の歴史を概観してくると、大きな変化や改革の連続だったことに改めて驚かされます。そして同時に、「キリスト教的」「学究的」「国際的」といった伝統が継承されていることに大きな感銘を覚えます。昭和27年(1952)に制定された大学の教育モットーが今も大切に受け継がれていることも、こうした伝統を重視する姿勢のひとつのあらわれといえるでしょう。いつの時代にも変わることのない崇高な理念を掲げ、同時に常に時代を先取る新しい大学であり続けること。南山大学はこれからも、南山大学であり続けるために、着実な一歩一歩を歩み続けることでしょう。

南山大学とカトリックの精神


名古屋キャンパス