ロバート・キサラ学長自身も外国人留学生別科(CJS)の同窓生で、1978年~1980年、1985年~1987年に在籍していました。当時の思い出とCJSのこれからについて語っています。
- My Study at the CJSCJSでの学び
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私が外国人留学生別科を初めて経験したのは、別科創設からわずか4年後の1978年でした。当時、私は南山中学校女子部で英会話を教えるために、2年間の予定で来日していましたが、別科は私のようなフルタイムで働いている人のために、パートタイムの語学プログラムを提供してくれました。2年後、私は神学を学ぶために米国に戻り、1985年に叙階されてから再び来日しました。その後、別科のフルタイムの学生になりました。私がいなかった数年間で、別科はさまざまな文化的背景を持つ学生の数という点で大幅に成長しました。オランダ、スペイン、台湾、マレーシア、ベトナム、アメリカからの学生と一緒に勉強しました。別科の集中語学プログラムは私にとってとても役に立ち、その後の東京での大学院研究と南山大学での継続的な勤務のための強固な基盤を与えてくれました。教師たちはプロフェッショナルとともにフレンドリーで、クラスとして何人かの教師の家に招待されたことを懐かしく覚えています。別科の事務局のスタッフも、私たちがくつろげるように、そして異文化の中での日常生活で直面する文化の違いを乗り越えられるよう、尽力してくれました。
- Memories with My Host Familyホストファミリーとの思い出
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外国人留学生別科で勉強している間に私が得た最も重要な経験の一つは、ホストファミリーと一緒に住む機会でした。私のホストファミリーは、名古屋に近い郊外に住んでおり、シカゴの自分の家を思い出させる質素な家を持っていました。彼らには3人の息子がいましたが、私は年齢の近い2人の兄弟と一緒に育ったので、自分の家族のことも思い出しました。私がホームステイ先に滞在していたとき、長男はすでに東京の大学で勉強していて、次男は大学受験を控えていました。日常的な日本語を練習し、日本文化を内側から学ぶ素晴らしい機会でした。ホームステイを終えた後も連絡を取り合っています。正月にはよく彼らの家に招待され、数年前にイタリアに転勤になったときはお別れの夕食に招かれ、日本に帰国したときは真っ先に歓迎してくれました。2年前には孫娘の結婚式の司会をさせていただく機会もいただき、昨年は曾孫の誕生を一緒に祝いました。これについて言及するのが適切かどうかはわかりませんが、ホームステイ先で私が受け取ったたくさんの贈り物の一つは日本酒の鑑賞でした。ホストファミリーとの楽しい思い出はたくさんありますが、特にホストファザーと一緒にお酒を酌み交わす機会が何度もあったのがとても楽しかったです。彼らはここ日本にいる私の本当の家族です。
- Dreams for the FutureCJSのこれから
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外国人留学生別科創設50周年は、未来を夢見る機会でもあります。別科の今後について、私が強調したい夢が四つあります。一つ目は、別科が提供する現在のプログラムの質の高さを維持しつつ、Nanzan Anime Study Tourのような新しく革新的なプログラムを開発し続けることです。二つ目は、別科の卒業生の世界的なネットワークを大学の卒業生の一員として発展させ続け、学生同士や大学との連絡や交流をより良く維持できるようにすることです。三つ目に、別科の卒業生が日本での就職を希望する場合、その就職を促進するためにもっとできることをしたいと思っています。最後に、質の高い語学プログラムを開発してきた50年の経験を活かし、全国の日本語教師の育成に大きく貢献できることを夢見ています。文部科学省は日本で学ぶ留学生の数を拡大するという目標を設定しており、より十分な訓練を受けた専門的な語学教師の必要性が高まっています。南山大学のDNAである国際性を考えれば、この分野で他に類を見ない深い貢献ができると考えています。