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南山のDNA 先輩インタビュー 澤村 満称子 さん

文学部仏語学仏文学科 1994年3月卒業

澤村 満称子 さん

陸上自衛隊 第6後方支援連隊長・1等陸佐
(2018年6月取材)

2017年8月、第15代目となる第6後方支援連隊長に着任。陸上自衛隊初の女性連隊長として話題に。山形・宮城・福島3県の防衛警備、災害派遣などに従事する第6師団に対して、あらゆる軍事的支援を行っている。

南山で身につけた「人間の尊厳のために」の教えと
求められる役割を必ず全うするという強い使命感を胸に。

恩師への義理を果たすため、興味がなかった自衛隊の道へ。

私は1995年に陸上自衛隊の幹部候補生学校に入学し、翌年、第13後方支援連隊補給隊からキャリアをスタートさせました。その後は人事や装備行政に長く携わり、現在は第6支援連隊長として約700人の部下を束ねています。時には過酷な環境に身を置くこともありますが、自分の使命を自覚しながら任務に当たっています。そもそも私は大学時代、自衛隊にはまるで興味がありませんでした。外交官を目指していたものの叶わず、恩師から「外交と軍事は表裏一体だよ」と自衛隊を薦められたのです。そこで恩師の顔を立てるため、幹部候補生採用試験を受けたところ、まさかの合格。「辛かったら3年ぐらい我慢して辞めればいいか」という軽い気持ちで入隊しました。

部下の誠実さ、責任感と使命感、そしてやりがいが原動力。

入隊後はまったくの未知の世界に戸惑いの連続でした。幹部というだけで20名の部下が付き、何も知らない私を支え、真摯に働いてくれるのです。その姿を見た時、「逃げることはできない」と感じました。四半世紀近く続けてこられたのも、誠実な部下たちのおかげかもしれません。自衛隊は人材育成に熱心な機関でもあります。私もアメリカへの留学をはじめ、多くの学びの機会を与えられ、実力組織の指揮を執る責任感と使命感を養いました。また、キャリアを積むにつれ、国際的な仕事にも携わるようになり、自衛隊は国の政策を間近で感じられる仕事だと実感。恩師の「外交と軍事は表裏一体」という言葉が身に染み、やりがいがさらに増しました。

学びに熱心な南山の精神や風土が、今の自分に生きている。

南山大学には、近所に住むお洒落なお姉さまが通っていたこともあって、自然と憧れを抱いていました。仏語学仏文学科を選んだのは、英語は上手な人がたくさんいるので、違う言語を学んでみたいと思ったから。当時、雑誌の「オリーブ」(マガジンハウス出版)が流行っていて、私も例に漏れず「オリーブ少女」でしたのも、フランスに憧れていた理由の一つです。仏語学仏文学科の講義は大変厳しいものでしたが、おかげで入隊後に防衛大学校の大学院に当たる防衛大学安全保障研究科で学んだ際も、フランス語の文献を1人で読むことができました。その後も英語以外の言語を使いこなせることが、あらゆる場面で大きなアドバンテージになったのは間違いありません。

南山の教育モットーを身をもって遂行した災害派遣活動。

私たち自衛隊が活躍する時は、災害発生時などの非常時です。困っている人に手を差し伸べることができるこの仕事に従事できていることを、私はとてもありがたく、そして誇りに思っています。南山の教育モットーは「人間の尊厳のために」。その教えを最も身近に感じたのは、東日本大震災の時でした。ライフラインが途絶えたある離島に発電機を取り付けに行った時のことです。電気が点いた瞬間、悲しみに打ちひしがれていた人たちの表情がパッと明るく輝いたのです。その表情を見て、「どんな時でも人は尊厳を失うことはないし、希望の灯が消えることはないんだ」と、ほっとしたと同時に、希望の灯をともす一助になれたことに喜びを感じました。

女性先駆者として道を切り開き、今後も社会貢献に邁進したい。

私が「陸上自衛隊初の女性連隊長」になったのはたまたまで、これからはもっと女性自衛官の活躍が目立ってくるでしょう。ただ、先駆者であることは事実ですので、後輩の女性自衛官のマイルストーン的な人物になれたらうれしいです。そして今後とも、組織の力で社会貢献していくために、人を育て、能力を磨いていきたいと思っています。私が今こうした立場にいるのも、精神的な多様性を受け入れてくれる南山大学での経験が息づいているからこそ。後輩のみなさんも、学問を学ぶだけでなく、学内で多くの人と知り合い、コミュニケーションを深め、多様性に触れ、大いに見聞を広げてください。ぜひ社会に役立つ人になってくれることを期待しています。

(2018年6月取材)