南山大学

 

上南戦 伝統の一戦 上智大学・南山大学総合対抗運動競技大会

上南戦こぼれ話

「12年ぶりの悲願の優勝」

南山が12年ぶりに優勝した第31回大会。私は体育会執行部で渉外局長をしていました。
あの頃実は、上南戦は存続の危機にさらされていました。「常に一方の大学が勝っているのでは対抗戦の意味がない。大学としてこのまま続けていくことに疑問の声が出ている」と学生課の方から言われていたのです。そんな中、上南戦実行委員だった第30回大会はもう一歩のところで引き分け。
執行部として迎えた第31回大会は、それこそ「どんなことをしてでも勝ちに行く」という思いでした。基本的にはそれぞれの部活に頑張ってもらうしかないのですが、体育会として、「試合前夜の飲み会の禁止」を徹底申し送りしたり(確かやったところは体育会として処罰することにしたと思います)、上南戦前に4年生が引退する部活にその年だけは上南戦後にしてもらったり、あまりに力の差があり勝ちが見込めない部活はオープン競技にしてもらうよう主将を説得したり、今から思えば非情で勝手な話しばかりでしたが、とにかく絶対私たちの代で勝つ。勝てば何かが変わる…という思いだけでした。
その結果の優勝。リーマー学長をプールに投げ入れた時の高揚した誇らしい気持ちは今でも大切な大切な想い出です。でも、逆に12年ぶりに負けてしまった上智の執行委員長は悲惨でしたよ(笑) 閉会式までの少しの時間、彼から「床屋に連れて行ってくれ」と言われ案内しました。閉会式は坊主でした。似合わなかったな(笑) きっと彼にとっては今でも酷い想い出でしょう。
第50回記念大会の今年。いてもたってもいられず、第31回大会の執行委員長、副執行委員長、渉外局長は揃って東京まで応援に行きますよ!必ず優勝旗を名古屋に持って帰りましょう。

(第31回大会 体育会執行部渉外局長 2009/6:一般公募こぼれ話)

当時、プールに投げ込まれたリーマー元学長

「上智大学との交流 ― 65-68の4年間の上南戦を振り返りたい。―

65年、舞台は横浜浅野学園プール。この年の上智は強かった。南山は気を吐いたが、上智には歯が立たなかった。南山は新入生Brの大きな泳ぎが注目を集めていた。上智は総じて泳ぎが綺麗であった。敗れたその夜、東海道在来線の各駅停車大垣行きの夜行列車に乗って、反省会しつつトコトコ帰ったことが印象深い。
66年、南山五軒家プール。南山が雪辱した。上智の戦力ダウンと南山新入66生の活躍が目立った。南山は武藤主将、青山主務、加藤、山本、大谷、那須の上級生の奮起と、二年目の一見、加えて前年度後半から急速に力をつけた古田、本田兄やん、それに新入生の強力泳者、今原、伊神、船橋、後藤の活躍に上智は為すスベ無く沈んだ。
67年、東京商船大プール、所は越中島である。上南戦史上に語り継ぎたい大接戦であった。戦前予想は圧倒的に南山有利。ところがである。各種目とも一位を南山が取っても、2-3位と上智が取り返し、接戦は大抵上智がモノにした。南山としては最後の8継で決着を付けたかったが、その直前で5点差付けられて万事休す。上智が接戦を制した。試合後、この日のためにBaに転向した那須主将から強い叱咤を受けた。
68年、新設の南山50mプール。小生も4年生で主将、負ける訳にはいかない。試合前日の上智の練習眺めて勝負の結果は明らかであった。エース奥地はドイツへ留学、主力は皆、泳ぎ込み不足が明白だった。一位を上智が取ったのは4混継と100, 200Baのみで後はすべて南山の圧勝であった。主将古田、エースの一見、本田兄やん、林主務の4年生の纏まりに加えて、66生の今原(元はBrだったが一見にどうやっても勝てないとBuに転向、この年の愛六戦100Buでは当時の記録、伊藤健さんを超えた)、Fr伊神、後藤の充実、船橋のイブシ銀的泳ぎ、67生のBr本田弟、柔道から転向の鈴木ウシシ、Bu横田、68生にBu長谷川らが印象に残っている。
65-68年の4年間は結果として2勝2敗。その後、上智大に念願の屋内プールが完成し、恒久的な練習不足が解消された鷲泳者が時代を迎えることになる。上智大学の同期と前後の年代諸氏、諸君との交流は三十数年経過の現在でも続いている。ソフィアの基調色エンジのユニフォームが眩しい。都会派の垢抜けたイメージの伝統ある鷲泳会と纏まりのある南泳会の交流を尚一層深め、現役への支援体制を強化し、両校水泳部の今後の更なる発展を祈りたい。

注:Br=平泳ぎ、Ba=背泳ぎ、Bu=バタフライ、Fr=フリースタイル

(『南山大学水泳部50年記念集』より抜粋 2002発行:一般公募こぼれ話)

「汗と涙の水面上昇」

去年(2008年大会)の上南戦、水泳競技最終種目である800mフリーリレー(4人が200mずつを泳ぐ)、既にそれまでの累計得点で上智側の勝利が決定している状況下、当時の水泳部主将は飛び込み台に立った瞬間、こう思った。
「負けると分かっているのに自分はなぜ泳ぐのだろう。なぜ泳ぐ前から自分は泣いているのだろう…。」
泳ぎ終わった4年生の先輩も、もう泣いている。応援している後輩たちの声も涙でかすれている。負けるのが悔しくて…負けたのが悔しくて…。主将をはじめ試合に出場した南山水泳部員の涙でその時のプールの水面が上昇していたのは間違いない。部員全員が大粒の涙を流しながら泳いだので、プールの水かさが増し、プールから水が溢れ出たことを憶えている。
全ての水泳競技種目が終わり、南山水泳部は上智水泳部に負けた。多くの悔し涙を南山が流し、南山水泳部の上南戦は幕を閉じた。
それから一年間、今年こそは上智に負けてたまるかという思いを胸に苦しい練習を日々積み重ねてきた。その日々の練習の中で多くの汗をプールに流してきた。あの時、水面上昇の原因であった悔し「涙」を勝利のための「汗」に変えたのだ。部員全員が一丸となって勝利のために泳ぎに泳ぎまくった日などは皆の汗で水かさが増し、その結果、大洪水が起き、マネージャーが給水ポットと共に流されていったことを憶えている。
そして、今年の上南戦がもうすぐやってくる。自分が1年生の時から上南戦で見てきた先輩の渾身の泳ぎ、勝利のガッツポーズ、咆哮、光る汗、そして涙。いわゆる水泳競技とは記録しか結果が残らないスポーツだが、上南戦のそれはその結果に加え、選手ひとり一人の表情全てに感動がある。いわずもがな、そこには「汗と涙」がある。 今年の第50回記念大会の舞台、絶対に上智に勝ってみせる!!!

(水泳部 2009/05)

「たとえ、それが負け試合だとしても…」

一昨年の上南戦(2007年大会)のことです。我々南山大学バスケットボール部は上智大学に完敗しました。当時、自分は2年生であり、負けたこと自体は悔しかったのですが、そこまで落ち込んではいませんでした。それまでの戦績から見ても、上智大学の方がはるかに格上だったということもあり、どこかで“負けても仕方がない”と思っていたのでしょう。ところが当時3年生だった先輩たちを見ると事情が違っていました。あと一年あるはずの彼らが、本気で泣いて悔しがっていたのです。
「先輩たちに申し訳ない。」
彼らが悔し涙と共に絞り出した言葉でした。この時、3年生の先輩たちが「4年生の想い、南山大学生という誇り、そして上南戦の歴史」を背負って戦っていたことに初めて気がつきました。
50回記念となる今回の上南戦は、4年生になった我々にとって最後の大会です。正直なところ戦力的には今年も上智大学には及ばないでしょう。しかし、我々はあの時の先輩たちのように、この舞台に立たせてくれた方々と、歴史を作ってきてくれた先輩方に感謝しながら、次の世代に何かを残せたらいいなと思っています。たとえ、それが負け試合だとしても、悔いのない戦いがしたい。
まずは「勝ちにいきたい」と思います。

(バスケットボール部 2009/05)

「勝利への飢え」

一昨年の上南戦(2007年大会)、上智大学にて開催の時の話です。
お金がないから上南戦に参加できないというメンバー(当時1年生)がおりました。すると、先輩たちが彼のためにカンパを行い、そのカンパで集まったお金で彼は決戦の地・東京は上智大学に行くことが出来ました。
カンパをしてくれた先輩の一人が、その上南戦の試合中に足の骨を折ってしまいました。しかし、本人は足が痛むという程度で、骨折していたことに気付かず、試合後もそのまま長時間バスに揺られて名古屋まで帰ってきました。 お金がなくても、そして足の骨を犠牲にしてまでも、試合に臨むという勝利への飢え!! 今年も勝ちをいただきに参ります。
試合の見所は、戦闘力53000を誇るエンターテイナー達による、音速のパス回し、奇跡のシュート、鉄壁のディフェンス、猪突猛進なキーピングです。どうぞご高覧あれ。

(ハンドボール部 2009/05)

 

「one for all, all for one」

南山大学ラグビー部史上初の上南戦4連勝をかけた昨年(2008年大会)、試合直前に事件は起きた。
チームの核となる選手が練習中に怪我をした。しかも上南戦出場は最後となる4年生。最後の上南戦に出られない…。
南山大学ラグビー部には「ユニホーム渡し」という伝統があり、試合前日にチーム幹部からポジションとともにユニホームが託される。本当は自分が着るはずだったユニホームを後輩に託す怪我をした男。彼とその後輩とは高校時代からの長い付き合い。二人とも言葉が詰まり、声にならない。学生生活のほとんどを共に過ごしてきたからこそ、お互いの気持ちは手に取るようにわかる。
しばらくの間、チーム全体に沈黙が流れたが皆が同じ気持ちであった。
「仲間のために必ず勝つ」
ラグビーのスポーツ精神に”one for all, all for one” という言葉がある。誰に強制されるのでもなく、皆が自然と思う感情であった。自分の学生生活を懸けて一生懸命やっているからこそ、熱くなれる。嬉しい時、哀しい時、悔しい時を仲間と共に共有できる。
ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。
南山学園・南山大学は、人間の尊厳のために。
上南戦第50回記念大会、pricelessな感動をあなたに。

(ラグビー部 2009/05)

「上智応援団に旗手がいない!:第39回上南戦」

開会式に出た人なら、誰でもあれれ?と思ったはず。本来なら両校の応援団員の手に重々しく団旗があるのだが、今年は南山の旗しかない。上智の応援団員は五十人と南山の倍以上いるのだが、そのほとんどがブラスバンドとチアリーダーで実質は三人しかいない。応援団は体育会にはなくてはならない存在なのだが、年々減少傾向にあるようだ。来年は両校とも新入部員の獲得が課題のようである。

(NANZAN UNIVERSITY BULLETIN No.125 1998/6/30発行)

上南戦にはなくてはならない応援団。それぞれの大学を応援するも、両者は固い絆で結ばれています。

「史上初、敵地で勝利!:第34回上南戦」

3日目、最終日。1試合を残して17勝17敗。総合優勝がかかったバレーボール女子の応援も最高潮に達した。応援団、チアリーダー、すでに競技を終えた選手達、そして応援に駆け付けた百名を超える一般学生。上智大学体育館第三体育場は割れんばかりの声援に包まれた。第1セット、15-13で上智先取。南山は大声援からの緊張感と勝利への責任感とで体が思うように動かなかった。第2セットは15-5で南山。五分となった。名古屋を出発する前夜、岡崎学生部長から「力みすぎるな。肩の力を抜くように。」との言葉を思い出したのだろうか。落ち着きを取り戻し、追いついた勢いとで第3セットも15-5で連取。迎えた第4セットは、15-3と余裕で勝ち取った。気がついてみればいつの間にか3セット連取。その瞬間彼女たちの目には感激の涙・涙・涙…。

(NANZAN UNIVERSITY BULLETIN No.105 1993/6/30発行)

涙々のバレーボール…一本一本のアタック、レシーブに観客も思わず身を乗り出しました。
 

「いつまでも心にしまっておきたい話」

かつて南山大学の学長で、総合優勝すれば私をプールに放り込んでもよい、なんとか勝って欲しいと願った人がいた。南山の学生は学長の願いに燃え、見事に勝った。背広のまま6月の屋外プールに放り込まれた学長は水中でもなお喜びを表しながら50mを泳ぎ切った。勝者も敗者も共に大きな感動に浸りながら心からの拍手を学長におくった。たかがスポーツ、しかし、優勝旗以上のものを学生は得た筈である。

(上智大学通信 No.169)

※上記の「50mを泳ぎ切った」学長は当時のヒルシュマイヤー学長です。その後、上南戦で南山大学が勝利した場合、学長がプールに投げ込まれるという伝統は脈々と受け継がれてはきましたが…。
「今後"毎年"プールに放り込まれると私の体がもたず大変なので、そろそろ私を放り込むのをやめてもよろしいのではないでしょうか?」
(カルマノ学長談)

ふんどし姿の学生たちに、プールに投げ込まれるマルクス前学長。
 

「とんでもない約束:第30回上南戦」

17-17で引き分けたこの年。接戦に次ぐ接戦が繰り広げられ、勝つはずのなかったラグビーが奮闘して勝った。上智陣営の顔が蒼ざめ、南山の学生課長の“鬼の眼に涙”が・・・。そして南山側にも顔色が変わった人がいた。ラグビー部長の伴紀子教授は、とんでもない約束をフィフティーンとしていた。Aリーグで勝ち、上南戦に勝ったら英国遠征につれていくというものだが、マサカが本当になってしまった。

(NANZAN UNIVERSITY BULLETIN No.89 1989/6/19発行)

伴紀子名誉教授に英国遠征が実現したのか事実を確認したところ以下のコメントを頂戴しました。

「その当時、南山ラグビー部は上智に勝てない状況が続いていたのよ。ちょうど英国留学から帰国したばかりで、私は会場である愛知県青少年公園に向かうバスの中、「もし試合に勝ったら英国に遠征に連れていくわよ!」 ってみんなに声をかけたの。でも、結果はなんと「0対123」という大差で大敗…。記事にある「Aリーグに勝った」というのも事実とは違うわ。 Aリーグで勝ったことはないと思う。よって、英国遠征にも行ってないの。
ともかく私の「英国遠征」の話が逆に学生たちを動揺させてしまったようで深く反省し、試合後は選手と共に泣きましたね。19年の長きにわたり部長を続けてこられたのは、ひたすら選手の成長を願う「母心」からよ。」

エンブレムを胸に両校のプライドがぶつかるラグビー。

「絶対に成功を:第5回上南戦」

上智大学の総勢は400名近くで、19日夜名古屋に到着し、宿泊は白川公園内の名古屋観光会館で全員宿泊します。20日(土)は、ミサ(南山教会)開会式(本校グランド)に始まり、各競技に移行します。施設の都合で会場の分散したことは非常に残念ですが、各競技とも熱戦となることでしょう。我々体育会の上南戦準備委員会の役員一同も上南戦を絶対に成功させる、つまり“勝つ”という信念のもとに、準備に励んでおりますので、各クラブの選手諸君には今一層の努力を、選手以外の人達には、多数の応援をお願い致します。また上智大学の人達を温かくむかえていただくよう願っております。なお、上南戦競技前の企画として、6月6日(土)1時より、上南戦のための全学の集い(E-30)を開き、南山大生全員に上南戦に対する理解と校歌、応援歌を応援団の指導のもとに、覚えてもらい、6月13日(土)1時より結団式(学生ホール)を行い、上南戦に対する選手の心構えを明確にしたいと考えておりますので、選手以外の人達も是非御参加下さい。各クラブ勝利を確信しております。

(南山スポーツ No.1体育会会長コメント 1964/6/8)

『南山スポーツ(南山大学体育会発行誌)』第1号(1964年) 発行から月日が流れセピア色に変色してしまいましたが、その当時から続く情熱は色あせていません。
 
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