南山の先生

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研究所・宗教文化研究所

金 承哲

職名 教授
専攻分野 組織神学
主要著書・論文 『遠藤周作と探偵小説:痕跡と追跡の文学』(2019年、教文館)
『沈黙への道・沈黙からの道:遠藤周作を読む』(2018年、かんよう出版)
『神と遺伝子:遺伝子工学時代におけるキリスト教』(2009年、教文館)
将来的研究分野 宗教と科学の関係、諸宗教の神学、キリスト教文学
担当の授業科目 「諸宗教の神学研究」、「宗教哲学研究」、「宗教思想特殊研究」

自分を支えてくださる存在としての神

皆さんがよく知っている文学者のなかで、遠藤周作(1923~1996)という方がいます。この方は、『沈黙』、『イエスの生涯』、『深い河』などの作品で著名な方で、皆さんの中にも、この作家の作品を読んだことのある方が多くおられると思います。カトリック信仰者としての遠藤周作は、どうすれば欧米のキリスト教信仰が日本という精神的風土に根を下ろすことができるかという問題に一生取り組んでいた作家です。遠藤によれば、日本人は自分のことを無条件に許してくれる「母なるもの」に大きな憧れをもっています。ゆえに、日本人にとって神とキリストは、「母なるもの」と「永遠の同伴者」としてのイメージとして受け取られると、彼はいっています。遠藤にとって、「母なるもの」と「永遠の同伴者」としての神とキリストは、常に私たちの傍に居ながら私たちを支え導いてくださる方なのです。

小説家の遠藤周作の話をしましたが、キリスト教神学を勉強するということは、私たちの日常の経験の中に隠れている神の現実を「探し求める」こと、その神の現実の多様なあり方に「目覚める」こと、そして、そのような神の現実について「語る」ことでありましょう。そもそも「神学」(Theo-logy)という言葉は、「神」(theos)について「語る」(legein)という、ギリシャ語から由来したものです。しかし、「神」について「語る」ということは、ある意味では、矛盾のように思われてなりません。なぜならば、「神」とは、人間のことをはるかに超えている存在ですし、私たちに与えられている言葉というのは、人間的な言葉しかないからでありましょう。

皆さんの中では、「神」というと、何か難しくて、遠いこと、自分とは何の縁もないもののように思われるかもしれません。もしそうであれば、「神」という名称の代わりに、自分が自分として生きていくように自分を支えてくれるものとは何だろうか、自分が失望に落ちて落胆しているとき、再び立ち上げるための力を自分に与えるものは果たして何だろうか、ということについて考えてみたら如何でしょうか。そうしますと、まずは、身近なところで自分のことを支えてくれる家族や友人のことが浮かんでくるのでしょう。そして、家族や友人が自分に与えられるようになったいろいろのきっかけとか、関係とかがあることに気づきます。さらには、そのようなきっかけや関係がなぜ可能になったのかというところに、私たちの考えは至ることになります。そのように考える中で、自分が自分として生きていくことができるのは、自分の意思や計画を超えて、自分を支えてくれる何かによるあるのではないか、その支えのおかげで自分は生きているのではないかということに、少しずつ目覚めていくことになるでしょう。ポール・ティリッヒという神学者の言葉でいいますと、そのように自分の存在を支えてくれる「存在の根拠」(ground of being)が、私たちが「神」と呼ぶ存在です。ゆえに、神を探し求め、その神の現実に目覚め、神を語ることとしての神学とは、自分の存在の根拠をめぐる思索になるともいえるでしょう。あなたの「存在の根拠」何でしょうか。