南山の先生

学部別インデックス

理工学部・ソフトウェア工学科

野呂 昌満

職名 教授
専攻分野 ソフトウェア工学
主要著書・論文 Manipulating Software Semantics with Unified Computational Model and Software Quark Model, in Proceedings of APSEC'99
将来的研究分野 ソフトウェアの意味論に関する研究
担当の授業科目 「プログラミングⅠ、Ⅱ」「プログラミング 言語」

ソフトウェアが無いと一体どうなるのだろう

ソフトウェアという言葉はハードウェアに対する言葉で、ある機械の上で稼働しその機械に本来備わっていない機能を実現するものと言える。

CDに記録されているのはデジタル化された音楽なり映画なりの芸術作品であり、CDプレーヤはそこに記録されているデジタルデータを読み込んで対応する音なり色なりの再生だけを行なう機械である。CDプレーヤがあるだけではエアロ・スミスのI don't wanna miss a thingやアルマゲドンを聞いたり見たりはできない。音楽、映像ソフトを買わないとCDプレーヤだけ持っていても何の意味もない。この場合、CDに書かれたもの(曲や映像)がソフトウェアでありCDプレーヤがハードウェアである。

私の研究対象はコンピュータソフトウェアである。コンピュータはデジタルデータになっている命令を順序通りに実行するだけの機械である。ソフトウェアを入れ換えるとコンピュータは全く異なった機械として機能することになる。

このソフトウェアが無いと一体世の中はどうなってしまうのだろう? これは世の中のCD屋さんが全部なくなってしまったらどうなるのかを考えれば容易に推察できることである。問題は音楽が聞けなくなる(これはこれで大事件ではあるが)だけでは済まないことである。私達が恩恵に浴している科学技術による文明の大部分が機能しなくなるのである。これは私達が普段何気なく利用している電気製品が全部使えなくなることを想像すれば良い。どうなるかは改めて言うまでもない。

実は電気製品でコンピュータを載せていないものは皆無と言って良い。したがってソフトウェアが無ければどの電気製品も動かなくなってしまう。ことは家電製品にとどまらない。自動車もそうだし、ジェット機もそうである。原子力発電所、新幹線の制御、銀行のオンライン、携帯やPHS、ケーブルテレビなど挙げ出したらきりがない。給料計算や高速道路のプリペイドカードの処理、公衆電話を使うこと等々社会生活は成り立たなくなる。(すごい表現だが)今流行のインターネットは単にコンピュータをつなぐ線であり、データの道路である。ソフトウェアが無ければコンピュータは動かないから、インターネットは何の意味も無いものになってしまう。

コンピュータソフトウェアはどのように書かれていて、どの様にして作成するのだろうか?このことを考えるのが私の研究であり、講義で話すことの中心である。上で書いたように、コンピュータソフトウェアの使われる場面(応用領域と呼ぶ)は多様であり、応用領域の多様性がソフトウェア作りを難しいものにしている。ハードウェアを引合に出すと、すべてのハードウェアを作り出すための具体的かつ普遍な方法はない。これは、ソフトウェアでもおなじ筈である。ハードウェアの工学は製品1種類に1つの工学の分野が存在すると言っても過言ではない。お酒を作るなら醸造工学、自動車を作るなら自動車工学(人間工学、機械工学)、ロケットを作るなら航空工学、コンピュータを作るならコンピュータ工学等である。ソフトウェアを作ることを考える工学はソフトウェア工学1つである。"うまく行く筈がないと考えるのは良くない、困難な状況だからこそ、考えることは幾らでもあり面白いと考えよう、"と何時も心に決め生きている。

ソフトウェアを書いたりその作り方を考えたりするとそれに"はまって"抜けられなくなる。それは多くのことを考えないと作れないからだと思う。ソフトウェア工学それは、音楽、哲学、人間工学、社会科学、数学、さらに人間がいかに人間らしく生きて行けるかを考えなければならない極めて人間味のある研究領域です。