南山の先生

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総合政策学部・総合政策学科

山田 望

職名 教授
専攻分野 キリスト教教理史、キリスト教古代史
主要著書・論文 『キリストの模範―ペラギウス神学における神の義とパイデイア』(教文館 1997年)
「ペラギウス派排斥のメカニズム―神学的言語行為の政治性」キリスト教史学53号(1999年)
将来的研究分野 東西キリスト教異端の歴史と異端排斥のメカニズム解明
担当の授業科目 「宗教論」「人間の尊厳」「文明論概論」「国家と宗教」

キリスト教の多様化と「異端」排斥問題

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一口にキリスト教と言っても、その具体的な内容は時代や地域によって様々です。キリスト教の多様性と多様化していった歴史を学ぶことは、同時にキリスト教を受容し伝えていった担い手とその文化の多様性を学ぶことでもあります。しかし、長い歴史の間には、ある地域とある時代の人々に根ざしたキリスト教が、時代と地域が変われば受け入れられないといった事態が生じます。例えば、ここに挙げたモザイク画は、4世紀初頭にキリスト教寛容令を出した皇帝コンスタンティヌスの娘コスタンツァの霊廟に描かれたものですが、このように髭も生やさず、若々しい姿のキリスト像は4世紀半ばには全く描かれなくなってしまいます。ローマ帝国の国教となったキリスト教にとって、このような親しみ易く、優しい顔のキリスト像は、権威ある者、力ある支配者のイメージが求められるようになるとキリストの姿としてふさわしくないと見なされるようになったからです。

同様の現象が、キリスト教教理や教会の理解についても生じました。正統と異端の問題がそうです。異端とは、「その時代の大多数の人から、正統と認められているものから外れているか、それに反対する立場であること」(大辞林)を意味します。とすれば、時代が変われば正統と異端の立場が逆転することもありえます。大抵はその時代の少数派が異端と見なされることが多かったのですが、少数派の側が正統と見なされる場合や、近代以降の世俗化し価値観の多様化した時代になると、少数派、弱者を標榜しながら自らを正当化し支配権を行使するといった、より複雑な現象も起きてきます。結局のところ、正統か異端かという問題は、単に教理内容のみの違いによって発生するのではなく、異なる宗派、集団間の利害関係を巻き込んだ政治的・社会的な要因が絡んだ問題だと言えます。

私の当面の研究課題は、古代末期に生じたキリスト教異端の思想やその排斥の現象を解明することですが、今後は、正統と異端をそれほど明確に識別することのできなくなった近現代における宗教集団間の排斥のメカニズムや宗教間の対立の現象を歴史的、思想史的に扱いたいと考えています。