南山の先生

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総合政策学部・総合政策学科

山口 和代

職名 教授
専攻分野 日本語教育、異文化間教育
主要著書・論文 「留学生の日本語表現と文化の影響 イメージ調査と言語表現調査から」(世界の日本語教育 2001 単著)、「ポライトネスに応じた言語形式と人間関係の認知―中国人ならびに台湾人留学生と日本人母語話者との比較の視点から―」(社会言語科学 2002 単著)
将来的研究分野 言語習得への文化の影響、言語と文化の関係
担当の授業科目 「日本語Ⅱ 総合」「日本語Ⅲ 読解」

日本語を教えるって?

「仕事は何?」と聞かれ、「留学生に日本語を教えている」というと、みなさん一様に「じゃあ、英語がお上手なんですね」と言われます。いまだに一般的な認識としては、日本語を教えるには外国語が堪能でなければならないと考える人が多いようです。もちろん、外国語を学んだ経験は学習者の立場を理解するうえで非常に役に立ちます。しかし、海外で日本語を教える場合を除き、日本で様々な国から来ている留学生に同じ1つのクラスで日本語を教える場合、ある外国語だけを媒介語として授業をするのは公平とはいえません。たとえば多くの人が共通語と考えている英語を媒介語とするのは、本当に留学生に対して親切な行為でしょうか? たしかに英語を母語とする人ばかりを対象にしているのであれば一面それは親切そうな行為ですが、それでもやはりいつまでも媒介語を使っていると却って学習を妨げる結果にもなります。人は誰でも楽な方に流れがちです。困った時は英語が通じるから大丈夫といった状況は、英語を母語とする留学生のストレスを軽減する利点もありますが、日本語を話せるようにならないと困るといった危機感を感じさせにくくするという欠点もあります。それに英語が母語ではない留学生にとっては、英語をさらに自分の母語に訳して理解しなければならず、意味が分からなくなって学習意欲をなくしてしまうこともあります。では、日本語が全然話せない留学生に日本語を日本語で教えるなんてことができるのでしょうか? 興味のある人は日本語科目を担当している先生の研究室を訪ねてみましょう。

さて、外国語を学ぶ場合、文法や言葉をたくさん覚えるだけでは完璧とはいえません。どんな場面でどのように話すか、相手に自分の気持ちをきちんと伝えるにはどうすればいいかなど、文化によってやり方が違うからです。文化の違いというのは、大きな違いはわかりやすいのですが、ちょっとした違いというのはなかなか気づきにくく、いつの間にか誤解が生じてしまうこともあります。総合政策学部にはアジアからの留学生がたくさんいますが、同じアジアといっても共通点もあれば相違点もあり、文化は様々です。日本でも最近は国際社会に通用する人材を育てるために、はっきり意見が言えるように教育することが必要だといわれますが、アジアの国の中には相手に誤解を与えないように自分の意見や好き嫌いをはっきり相手にいうことこそが親切だと考える文化もあります。何が大切か、何が重要かというのは文化によって違い、したがってそれを伝える表現の仕方、言葉の使い方も違います。そのため日本人も留学生も親切のつもりでしたことがうまく伝わらず、お互いに誤解を招いてしまうことがあるかもしれません。なんだか変だなと思った時は、いい悪いを即断しないで、ちょっと立ち止まって考えてみませんか。

話は変わりますが、先日メキシコからの留学生と話をする機会がありました。これまで私にとってメキシコは明るく陽気なラテン文化の国、積極的な人が多い国というイメージがあり、日本とは文化がかなり違うと思っていました。しかし彼女は実に控えめで、相手の気持ちを思いやり、嫌いなものを勧められてもはっきり嫌いだというのは失礼だからできないと考える人で、日本人よりも日本的だと思われるものをたくさん持っているのです。彼女と話をしていると、人と接する時の対応の仕方や感じ方に共感することが多く、スペイン語(メキシコの言葉)でも同じようなやり方で表現するといわれ、遠いと感じていた文化を身近に感じ、とても驚きました。

このように、留学生に日本語を教えるという仕事をしていると、教えているのか学んでいるのかどちらが多いのだろうと思うこともしばしばあります。