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法学部・法律学科/法務研究科
鈴木 敬史
職名 | 准教授 |
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専攻分野 | 知的財産法 |
主要著書・論文 | ・単著「著作者人格権の再構成――侵害要件の実質的解釈の試み」著作権研究50号(2025年) ・単著「排他権の経済分析と特許権のラディカル・マーケット――特許料(特許権維持コスト)に着目した『アンチコモンズの悲劇』への処方箋」前田健編著『パンデミックと医薬品供給の法的問題』(勁草書房、2025年)所収 |
将来的研究分野 | 不法行為法制度における知的財産権の再定位 |
担当の授業科目 | 知的財産法 |
AI時代の著作権法
「現行特許法は、侵害が認定されれば原則として無条件の差止めを認容する。しかしコロナ禍で露呈した医薬品アクセス危機や複雑化するデジタル技術の相互依存は、この機械的運用が公共の利益を阻害し、改良投資や協調的イノベーションを萎縮させる危険を示した。......そこで本稿は、判例上周辺的にしか機能してこなかった「権利濫用の法理」を、特許差止請求に対し実質的な比例・衡量原理として活性化させる必要性とその具体的基準を提起する。......」
以上の文章は、上掲した「主要論文」のうち2つ目の論文をChatGPTにインプットし、かつ、その後続論文のアイディアを簡単に示したうえで、冒頭部分を書いてもらったものです(使用モデルはo3)。なるほど、色々と思うところはありますが、比較的よくできています。メールの返信や会議の議事録だけでなく、論文や小説さえも、簡単な指示を出しただけでAIが書いてくれる――そんな時代が、近い将来訪れるかもしれません。
もっとも、このようなAIの活用に対しては、少なくとも次の2つの疑問が生じてきます。すなわち、①AIによって出力された作品を使った場合、誰かの権利を侵害しないのか、②AIによって出力された作品は「誰のもの」なのか、という疑問です。
例えば、冒頭の文章に立ち返ってみましょう。これをよく見ると、その基本的なアイディアは、初めにインプットした論文で示されたものと共通しています。もっといえば、一文目の文章と似ている文章が、当該論文の中にも見られます。今回は私の書いた論文だから著作権法上の問題は生じませんが、仮に「他者の論文をインプットし、それを発展させた論文を書こう」というコンセプトだった場合、どうなっていたのでしょうか。
一つのあり得る結論として、他者の考え(基本的なアイディア)と同じ考え方を使っていれば直ちに著作権侵害だ、というものが考えられます。しかし、冒頭の文章では同じ「基本的なアイディア」を使っていたとしても、その後の分析では全く異なる結論が導かれることもあり得ます。最後まで同一の「基本的なアイディア」を使っていても、その構成方法や文章表現によって、より魅力的な作品(例えば、同じトリックを使った別個の推理小説)を書くことだってあり得ます。これを全て著作権侵害として禁止してしまうと、学問の発展や芸術文化の発展が損なわれてしまうかもしれません。
著作権法だけでなく、特許法や商標法も含めた「知的財産法」という分野では、以上のように、「権利侵害を認めた場合、どんな問題が生じるか」という視点から、権利者をどれほど保護すべきかが議論されています。さて、冒頭の第一文が既存の論文と全く同じ文章だった場合、これは著作権侵害とすべきでしょうか?
(なお、論文・レポートで「剽窃」が禁止されるのは、著作権侵害とはまた異なる理由によるものです。「それを許すと、成績評価が適正にできなくなってしまう」という政策的考慮から、著作権侵害となる範囲よりも広い範囲で禁止規範が妥当するのです。)
AIの活用によって生じる第二の疑問として、AIによって出力された論文や小説を「私のもの」として公表できるか/他人がその一部をコピーした場合に著作権侵害を主張できるか、という問題が考えられます。
完全にAI頼みであるにもかかわらず、そんなことを主張するのはいかがなものか!――そう考える人は多いでしょう。では、「後続論文のアイディアを簡単に示した」場合はどうでしょう? 推理小説について、登場人物やストーリー展開、使われたトリックをプロンプトとして入力した場合はどうでしょう? このような問題についても、上述したような、「AI生成物に著作権を認めた場合/認めなかった場合、どんな問題が生じるか」という観点からの検討が必要となります。
ところで、この②の疑問に対する現在の議論は、実を言えば、30年以上前に示された文化庁の報告書の考え方を基礎としています。しかも、それは全く「時代遅れ」な考え方ではないのです。
このことからは、法学が、ある意味で「時代を先取りする学問」であることが分かります。現在問題視されている課題にのみ焦点を当てるわけでなく、柔軟な発想力の下、現在は認識されていない問題点を探し出しておき、未然に解決の道筋を立てておくこと。大学における法学学習は、こうした頭の使い方を身につけることを最終的な目的としています。
条文や裁判所における権威的決定をあるがまま受け入れる――もしかしたら、法律にはそんなイメージを持っているかもしれません。しかし、以上述べてきたように、法学という学問には、自由で柔軟な面もあるということを理解してもらえると幸いです。