南山の先生

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法学部・法律学科/法務研究科

石畝 剛士

職名 教授
専攻分野 民法
主要著書・論文 「診療報酬債権とは何か―位相・構造・内容」『これからの民法学と消費者法(Ⅰ)〔河上正二先生古稀記念〕』(信山社)
将来的研究分野 公的制度に内在する契約の構造分析
担当の授業科目 家族法(親族)、家族法(相続)、物権法

法や法律を学ぶって何

法学部ではいったい何を勉強するのでしょうか。

そのような質問を出すと、「法や法律に決まってるだろ」というツッコミが入りそうです。

では、どうして法や法律を勉強するのでしょうか。しかも、大学4年間という、人生の中でも最も可能性に満ち、体力も行動力もある貴重な時期に、なぜこんな堅苦しそうなものを......。

これに対しては、「公務員などの安定した職業に就きたいから」とか、もっとストレートに「法律家になりたいから」といった、将来の進路に絡めた解答が予想されます。目的に対応した手段が見えている点で、これも一つの立派な答えです。もっとも、それだけならば、公務員や法律家を目指さない人や、まだ進路が定まっていない人は、法や法律を学ぶ意味はないのでしょうか。また、将来の具体的進路に向けた手段という点にのみに学ぶ意味を見出すのは、それはそれで寂しいような気もします。

難しい問題であり、決まった答えがあるわけではないのですが、個人的には、いろいろな出来事(「トラブル」「問題」と言ってもよいでしょう)につき、様々な捉え方や考え方があることを正面から受け止め、それを自分の中で相対化しつつ昇華させ、その時点での自分なりの「最適解」を練り上げられる人になるために、法や法律を学ぶのではないかと思います。日常生活や社会生活のどの場面でも、人は他人と接触しなければ基本的に生きていけません。しかし、人の価値観は様々であるうえ、多様性が尊重される今日ではますます、ともすれば関係が微妙になったり、対立したりさえする危険と隣り合わせです。こうしたときに、自分の考えを独善的に押し付けたり、逆に他人の考えに無批判的に従属したりせず、どうすれば「望ましい方向へと進めるのか」を、可能な限り目の前の相手と議論し協働しながら、模索する姿勢と能力が必要になります。つまり、法や法律を学ぶことは、幅広い視野を持ち、客観的な分析ができ、柔軟な思考が備わったうえで、自己と考えを異にする他者との間で冷静に議論ができる人、誤解を恐れずに言うと「1ランク上の大人」になることで、自分の人生を豊かにし、結果として社会において不可欠な存在となるための基礎作業かと思います。

法学部とは、終局的には「人」を学ぶところであり、その延長として、人によって構成された「社会」を学ぶところというのが、今のところの考えです(異論は認めます)。その意味では、他の学部(とりわけ人文・社会科学系の学部)で学ぶのと、目的が重なる部分が多いかもしれません。法学部の特色は、あくまでも法や法律を「ツール」ないし「ものさし」として、その角度から学びを深めていこうとする点にあるに過ぎません。

「ツール」や「ものさし」というと矮小化されている感が漂いますが、法や法律は、人々が現実に直面した大小様々な問題について多くの人が考え、紡ぎだされてきた構成物であり、その歴史は2000年以上にも遡ります。もとよりそれでも完璧ではなく、現代社会で生起される新たな問題群に対応すべく適宜アップデートされなければなりません。過去に生じた多くの困難について真摯に考えられてきたものを、現代ひいては将来のためにどのように展開していくか、そのための格好の素材(ネタ)が法や法律であり、その「調理法」を学ぶのが、法学の本質ではないかと思います。従って、法学とは法律や判決の暗記が中心ではありません(ネタの中身を知らないと、その調理もできないという意味では暗記が全く不要というわけではありませんが)。あくまでも、それらを基礎に「望ましい方向」を目指して多面的に考える力をつけるための学問と言えそうです。

また、公務員や法律家のみならず、どの方面でも法的な素養を身に付けた人は求められています。先の見通しがきかないこの混沌とした時代だからこそ、一定の「調理法」を習得し、冷静に考えることができる人の必要性はますます高まるでしょう。

皆さんも「1ランク上の大人」になることを目指して、一緒に法学の世界でいろいろな考えを巡らせてみませんか。