南山の先生

学部別インデックス

法学部・法律学科/法務研究科

本部 勝大

職名 准教授
専攻分野 租税法
主要著書・論文 『租税回避と法』(名古屋大学出版会, 2020)
将来的研究分野 租税法律主義と租税回避
担当の授業科目 租税法A・租税法B

「自由」か、それとも「公平」か
―租税回避問題を通じて考えてみる―

 ある国家が、「親から100円を超えるお小遣いをもらったときは、10%を税金として納めなければならない」というルールを定めたとします。このとき、「親から1万円のお小遣いをもらいたいが、税金なんて払いたくない」と思ったら、どのような方法が考えられるでしょうか?

 まず、①100円以下のお小遣いには税金がかからないことを利用して、「親から100円ずつ、100回に分けてお小遣いをもらう」という方法があり得ます。この方法は、ルールが認めているものですので、何も問題はありませんが、100円ずつ100回もらうというのもなかなか面倒な話です。1万円をまとめてもらいつつ、税金を払わない方法はないでしょうか?

 1つの方法として考えられるのは、②「親から1万円のお小遣いをもらったにもかかわらず、もらっていないと国家にウソをついて、税金の支払いを免れる」という方法です。しかし、この方法ではルール違反をウソでごまかしていることになりますので、正々堂々とできるような方法ではないですし、国家にバレたら何かしらのペナルティがありそうです。それでは、ルールに違反しないで、税金を払わずに1万円をもらう方法はないでしょうか。

 その方法として考えられるのが、③親から直接1万円をもらうのではなく、「親が別の誰かに1万円を渡し、その誰かから1万円をもらう」という方法です。ルールは、「親から」もらった場合にのみ税金を課すと定めているので、親以外からもらえば税金がかからないことになります。この方法では、少なくとも言葉上はルールに反することなく、税金を払わずに1万円のお小遣いを受け取ることができます。

 私が勉強している「租税法」の世界では、①を「節税」、②を「脱税」、③を「租税回避」という専門用語で呼んでいます。この中で、最も扱いが難しいのが「租税回避」です。

 ①「節税」はルール自体が認めている方法ですので、何も問題はありません。他方、②「脱税」はルールに違反して税金を免れているため、違法行為として厳しく取り締まることができます。

 これに対し、「租税回避」は、少なくとも形式上はルールの言葉には違反していませんので、違法行為ではありません。国家が定めたルールに反していない以上、非難される点はなく、課税される理由もないように見えます。しかし、形式上はともかく、実質的には親から1万円のお小遣いをもらっているのと同じです。それにもかかわらず、結果的に税金を免れています。これは、普通に親から1万円のお小遣いをもらって税金を納めた人と比べると不公平といえ、同様の税金をかけるべきともいえます。

 この点について、「国家はルールに書いてある内容以外に税金をかけることは許されない」という立場の人からは、形式上はルールに違反していない「租税回避」に対して税金を課すことは許されないとの主張がなされます。ルールに違反していない租税回避に税金を課してしまうと、ルールを信じて課税されないと思ってその行動をした国民の信頼を裏切ることになり、ひいては国民が自由に行動できなくなってしまうからです。一方、「実質的に同じように親から1万円のお小遣いをもらっている人には、公平に税金をかけるべきだ」という立場の人からは、「租税回避」にも親から直接1万円をもらった人と同様の税金を課すべきだとの主張がなされます。形式上はともかく、実質的に同じ1万円のお小遣いという経済的な成果を得られた人は、同じような課税を受けることが公平だと考えられるからです。

 両者の主張のどちらが正しいでしょうか?実をいうと、両者の主張は、どちらかが絶対的に正しいというものではなく、どちらも正当性のあるものです。簡単にいえば、前者は「自由」という価値を重んじる意見であり、後者は「公平」という価値を重んじる意見です。

 租税法をはじめとする法学の世界では、このような答えが1つとは限らない問題を扱います。絶対的な解のない問題について、考え方の異なる立場から議論を重ね、多数を説得できるような「答え」を導き出していきます。このような学びに興味を持たれた方は、ぜひ一度法学部を覗いてみてください。