南山の先生

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法学部・法律学科/法務研究科

西村 邦行

職名 教授
専攻分野 政治思想史
主要著書・論文 『国際政治学の誕生―E・H・カーと近代の隘路』昭和堂、2012年(単著)
将来的研究分野 政治における曖昧さについての思想史的研究
担当の授業科目 政治思想史A・B

「役に立つこと」を離れて

歴史家のエクスタインズが書いた、『春の祭典』という本があります(金利光訳、TBSブリタニカ、1991年、原著は1989年)。20世紀初頭のバレエからとられた題名です。ただ、本の中心を成すテーマは、第一次世界大戦です。副題にも、「第一次世界大戦とモダンエイジの誕生」とあります。

「春の祭典」は、前衛的な芸術でした。ステップの運びから、従来の型を拒みます。美徳とされてきた慎み深さなど、そこにはもう見られません。そんな仮面は捨て去って、自身を解放すべきことが表現されています。多くの観衆は、怒り心頭です。しかし、恍惚とした顔も見えます。公演の最中に、怒号と歓呼の声が入り乱れます。人々の価値観が変わりつつある、その予兆を示す光景でした。

初演の翌年、大戦が勃発します。既存の良識は、いよいよ揺らがされました。当初は、敵同士でクリスマスを祝ったりもしました。殺しあう相手でも人間だと。しかし、極限状況でのことです。大半の時間は、塹壕で雨水を耐えるばかり。かと思えば、唐突に砲弾が響く。戦局に変化はない。けれど人死には増える。自分は何のために生きているのか。この状況をもたらしているのも、自分たちの信じてきた文明ではないか。いや、とにかく勝てばいい。それですべて終わる。けれども実際には、そうして生き延びた人たちも、戦後は、変わってしまった世の中と自分に苦しむこととなるのでした。

芸術と軍事は別と考えるのが普通でしょうか。しかし、エクスタインズの叙述からは、バレエと大戦とがその精神において通じあうように見えます。

字面にもうかがえるとおり、政治思想史は、過去の思想から政治を考察する学問です。ただ、そこで言う思想は、自由主義だとか民主主義だとかいったものばかりではありません。「春の祭典」を生みだしたインスピレーション、それもまたひとつの思想です。そして、その新しい発想の是非を人々に問いかける行為、それもまたある種の政治です。

たとえば、皆さんも、自立的に判断して社会に参画を、などと言われてきたことでしょう。そこでは、民主的な社会に好ましい主体のあり方が教え込まれています。ただ、そのような個人像は、だいたい17世紀から18世紀くらいに形作られ始めたものとされます。20世紀の初頭を境目に人間のあり方が変わってしまったのだとすれば、そうした過去の理想に根差す仕組みは、今後も維持していけるのでしょうか。そんな風に考えてみると、人間の本性を暴き立てようとした「春の祭典」も、政治的な意味を持つわけです。

法学部を進学先に考える理由は、いくつかあると思います。法曹になりたい、少なくとも法律に興味はある、公民分野が得意だ、文系では潰しが効く、などなど。

多くの方の本音は、案外、最後のかもしれません。そんないい加減な、と怒られそうですが、私はそうでした。法曹になることも考えはしましたが、それも結局のところ、まあならなくても法律なら役に立つと、そう算段していたからだと思います。

そこから何を間違ったか、政治学に逸れました。さらには、哲学や歴史へ迷い込みました。挙句、それを職業とするようになりました。

大学は、自身が変わる場になりえます。学問というのがしばしば、既存の常識を疑ってかかる営みだからです。それは、今ある自分を捉えなおす手助けにもなります。人文系の分野は、そうした色合いが濃いでしょう。実学的とされる法学部にも、人文的な面はあります。法哲学や西洋法史では、特に顕著です。政治思想史も、その仲間です。

将来の職も大事だけど、学生のあいだは考えずにいたい。やりたいことが決まっているわけでもない。そんな人は、この学問に触れてみてください。そこで得た知識は、仕事で使うことはないでしょう。けれど、そういう無駄からこそ、生きる知恵はみつかるのかもしれません。