南山の先生

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法学部・法律学科/法務研究科

田中 実

職名 教授
専攻分野 西洋法史
主要著書・論文 「人文主義法学のローマ法文解釈と市場原理」(加藤哲実編『市場の法文化』(国際書院)所収)、「居住の無償供与をめぐる普通法学の解釈覚書」(林信夫他編『法の生成と民法の体系』(創文社)所収)ウルリッヒ・マンテ著(共訳書)『ローマ法の歴史』(ミネルヴァ書房)
将来的研究分野 16世紀ローマ法解釈学
担当の授業科目 「西洋法史」

楽しいローマ法

日本では国会が法律をつくり裁判所はそれを適用して紛争を解決するはずなのに、なぜ法が大学の法学部で教えられ学者が楽しく研究しているのか。民主主義の国なのに、なぜ法律学をマスターした人とそうでない人が区別されるのか。アメリカの法学校を扱った小説や映画でも、新入生が高校までに全く接したことのない法律学の議論にとまどいを隠せない様子が描かれています。こうした疑問なり違和感は、人の意見の対立を、暴力による解決を排除するという点では共通するものの、真理の探求という目的にかなった手続に任せる自然科学とも、論拠を限定せずに議論を行い例えば多数決で決着する政治とも異なり、論拠を限定し儀礼的とも言える手続によって判断し、専門家がその理由をはっきり述べて責任をとる法というメカニズムがきちんと理解されていないことからきていると思います。法がある社会とは、財産が誰のものなのか、特定の人が特定の人にいくらの金銭を支払わなければならないのかの判断について、他のメカニズムを一応は遮断した裁判という舞台を確立している社会であると言えます。私が買った辞書は、クラスの大半がお前のものでないとかお前のような勉強しない奴が持っていても意味がないと主張しても私のものです。これは科学的真理や政治的な多数決に基づくのではなく、裁判ゲームで使える「買った」という強いカードを私が持っているからです。このようなメカニズムを整備し、それを操る専門家を生み出したのが、古代ローマと中世ロンドンです。今日の安定した多くの国の法はいずれかをお手本にしています。正義、平等、民主主義、弱者救済などを標榜したものの、このお手本を軽視した国が悲惨なことになったことは経験の教えるところです。

本文で述べた事件のローマ法と13世紀の解説

買ったワインの瓶にキズがあったため高級なワインが流れてしまったとき、買主はキズを知らなかった売主に対してそのワイン代を賠償せよといえるでしょうか。Aの奴隷が100万するBの壺を壊したのですが、奴隷は50万程度の値打ちだったので、Aは100万の賠償の代わりにBにその奴隷をタダで与えることになりました。ところがこの奴隷をCが殺したためAは結局Bに100万支払うハメに。Aは奴隷を殺したCにいくら請求できるのでしょう。Aが、冒険的な海上貿易をする無一文のBに500万を貸し、「航海途中に難破したり海賊に襲撃されたなら返さないが、成功したら1年後に倍にして返します」と約束させたとき、これは暴利行為と言えるでしょうか。古代ローマでは、これらの問題について、大げさな哲学や宗教とは距離をおいて冷静に乾いた議論をする法律家が多数輩出し膨大な著作を残しました。この一部が6世紀に聖書の約2倍の分量にまとめられたのですが、これが非常に面白く難解であったため12世紀以来今日まで明晰な頭脳の持主を魅了し、彼らがローマ法を参考に、ある財産は誰のものか、損害とは何か、リスクと利益の配分はどうあるべきかといった法律学の枠組みを練り上げてきました。ワイン瓶も奴隷も保険をかけない冒険的な貿易も過去の遺物かもしれませんが、時代が変わっても色褪せない法律学の基盤がここにあります。法学部に入って勉強する、「特別損害の予見可能性」といった基準は16世紀フランスの、「契約を破る自由」といった最新の法学の視点は17世紀オランダの、いずれもローマ法の解説書に出てきます。私は、古代ローマの議論とそれに対する12世紀以来の解説を、(主として16世紀に出版された)西欧の古書から発掘して、フランスやドイツを経由してローマ法の枠組みから作られた日本の法制度ひいては学者や裁判所が用いる理屈を検証する手がかりを得るという楽しい勉強をしています。