南山の先生

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法学部・法律学科/法務研究科

榎本 雅記

職名 教授
専攻分野 刑事手続法
主要著書・論文 「刑事免責に基づく証言強制制度」(刑法雑誌55巻2号238頁)
将来的研究分野 取引的司法手続、日米比較刑事手続
担当の授業科目 刑事訴訟法Ⅰ(法務研究科)、刑事訴訟法A(法学部)

刑事訴訟法の世界

私は、法律の中でも刑事訴訟法という法律を対象に、日々研究、教育にいそしんでいます。刑事訴訟法とはどのような法律なのでしょうか。ある法律の全体像を把握するには、知りたい法律の最初の条文、すなわち第1条をみてみることが1つの手がかりとなります(第1条はその法律の概要・目的が書かれています。もっとも古い時代にできた法律には、このような目的規定はありません。)。そこで、刑事訴訟法の第1条をみてみますと、次のように規定されています。

第1条 この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。

この中に、刑事訴訟法の目的の1つとして、「事案の真相を明らかに」することがあげられています。これは、犯罪が起こったときに、その犯罪の内容はどのようなもので、犯人は誰なのかを解明することです。そのために、警察官等の捜査機関がさまざまな捜査活動を行うことになります。しかし、この条文は、「基本的人権の保障」を全うすることも同時に要請しています。

誰の基本的人権を保障しなければならないのか。もちろん、刑事手続に関わる全ての人の人権なのですが、その中心は、犯人と疑われている人(一般的には「容疑者」とよばれますが、刑事訴訟法上は「被疑者」とよばれています)の人権です。

捜査の段階では(さらにいえば有罪が裁判により確定するまでは)、被疑者は単に犯人と「疑われている」に過ぎないわけですから、そのような人の人権を捜査のためとはいえ自由に侵害してよいことにはなりません。さらにいえば、仮にその人が真犯人だとしてもその人権を捜査のため自由に侵害してよいわけではありません。ただ、他方で犯罪捜査をするためには、被疑者の人権侵害になるような活動が不可避であることも確かですから(たとえば、被疑者の逃亡を防ぐために逮捕するなど)、どのような人権侵害がどの程度まで許されるのかを厳格に規定しているのが刑事訴訟法なのです。このように、被疑者の人権を守りつつ、真相を明らかにすることが刑事訴訟法の目的であり、これらが両立することが理想です。しかし、場合によってはこの2つの要請がぶつかり合うこともあります。次のような場合を想定してみましょう。

警察官のKさんが、夜中に街を巡回していたところ、前から挙動不審なAさんがやってきました。KさんはAさんに対して、立ち止まってポケットの中のものを出すように言いました。しかしAさんが、その要請を無視して歩き続けたため、Kさんは、Aさんを無理矢理後ろから羽交い締めにして道路に押さえつけ、Aさんのズボンのポケットに手を突っ込んで中にあったものを取り出しました。すると、それは違法な薬物だったので、Aさんを現行犯逮捕しました。

この事案でKさんの行為が違法捜査である(Aさんの人権が守られていない)ことは疑いありませんが、Aさんが違法薬物をもっていたのも事実で、それが実体的真実です。このような場合、Aさんを有罪にすることはできるのでしょうか。

法律に明確な規定はないのですが、最高裁判所は過去の裁判において(これを判例といいます)、場合によっては実体的真実の要請を一歩後退させてもやむを得ない場合があるとの判断を示しています。もちろん、犯人であることが明白なAさんが無罪になりうるということに反対する考えもありますが、政策的な判断として同様の違法捜査を抑止するためにも、このように考えているのです。

このように、法律の条文を基本に据えることはもちろんですが、さまざまな対立する利益を勘案しつつ、さらに政策的な判断も加えつつ、解釈をしていく点が刑事訴訟法を勉強する1つの醍醐味ではないかと思います。