南山の先生

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法学部・法律学科/法務研究科

水留 正流

職名 准教授
専攻分野 刑法
主要著書・論文 「責任能力における『精神の障害』」(上智法学論集50巻3号、4号)
将来的研究分野 責任論(特に、責任能力)
担当の授業科目 「刑法総論」、「現代社会と刑法各論」、「刑事政策」、「法と人間の尊厳」

刑法解釈と処罰の限界

犯罪とは「悪いこと」であり、犯罪を犯せば処罰される、というのは、犯罪についてのおそらく一般的な理解だと思います。しかし、法律の世界では、「悪い」と考えられていることがすべて処罰されるわけではありません。

なにぶん人を刑務所にたたき込んだりするわけですから、処罰は慎重に行われなければなりません。そこで、国家による処罰は、国会があらかじめ法律という形で定めた行為を行った場合しか行うことができないという原則(罪刑法定主義)が存在してきました。この厳格な原則のために、刑法の世界では、条文で用いられている言葉を解釈して、どのような事案をその言葉に含めて処罰の対象とすることができるかという、処罰の限界を探る必要があります。

たとえば、A社の社員Xが、B社に忍び込み、B社のコンピューターに保存されたB社の企業秘密を、Xの所有するCD-Rに焼き付けて持ち出した、とします。この場合、企業秘密を「盗んだ」のは明白でも、Xを窃盗罪で処罰することはできません。窃盗について、刑法235条は、「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」とだけ規定しています。詐欺罪については、「財物」 ―形のある物 ―のほかに、「財産上の利益」 ―形のない利益 ―をだまし取った場合も処罰対象に含まれることが規定されています。これに対して窃盗罪は、条文に「財産上の利益」が書かれていないために、「財物」が盗まれた場合にしか適用できません。この事例では、B社の「財物」は一切奪われていないために、「財物の窃取」に当たらないと理解されるのです。

他人の自転車を盗む行為は窃盗罪の処罰対象に入ります。企業秘密を盗む方が自転車窃盗よりも悪いと感じる人は多いでしょう。それでも、"情報も自転車のような財物と似たようなものだから「財物の窃取」と同じように考えて処罰していい"という解釈は、罪刑法定主義の観点から許されません(類推解釈の禁止)。

このような処罰の限界を打破する方法がひとつだけあります。法律をつくればいいのです! 法律は、国会議員の過半数が賛成すればつくれる建前になっています。一見、簡単そうにみえます。

そうはいっても、なにぶん人を刑務所にたたき込んだりする根拠を作ろうというのですから、人を処罰する法律(広い意味での刑法)の立法には慎重でなければなりません。たとえば、"産業スパイはとにかく悪いのだから処罰すべきだ"では、立法の理由としては通らないのです。

刑法は、法的に守られるべき具体的な利益(法益)を保護するためのものでなければなりません。また、その法益を守るために刑罰を設けなくてもいいのなら、そのような領域にまで刑法が出しゃばるのも、妥当ではないでしょう。そもそも何を守るために立法するのか、その法益を保護するために刑罰までが必要か、必要だとしてどのような言葉を使えば問題となる行為を過不足なく処罰対象に含められるのか ―法律をつくればいいといっても、その際には処罰の限界をどこに設定するのが妥当かを考えながら、慎重に検討されていくことになります。

前述のような事例の一部は、不正競争防止法平成15年改正によって、「営業秘密の不正取得」として処罰できることになりましたが、「営業秘密」以外の無形の利益を盗む行為の多くは、相変わらず「盗んだ」ことを理由としては処罰できないままです。刑法の授業には刑法総論と刑法各論という科目がありますが、そのうち、刑法各論では、法律の条文を眺めながら、どの場合まで処罰が可能か、そこで考えられた処罰の限界は妥当なラインに設定されているか、といったことについて、一緒に考えていくことになります。