南山の先生

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人文学部・心理人間学科

加藤 隆雄

職名 教授
専攻分野 社会学、教育社会学
主要著書・論文 「ポストモダン教育社会学の展開と隘路、そして生政治論的転換」(単著)『教育社会学研究 第94集』東洋館出版社、「フロイトのテクストにおける生‐政治の介入―「性欲論三篇」におけるヘゲモニー的リビドー体制―」(単著)『アカデミア 自然科学・保健体育編 第15巻』南山大学、「生政治の〈介入〉とはいかなる事態か―フーコー『知の考古学』における権力作用の研究―」(単著)『アカデミア 人文・自然科学編 第7号』南山大学、「デュルケムの〈分析-構築〉における道徳教育論」(単著)『アカデミア 人文・自然科学編 第12号』南山大学、「〈子どもコード〉の生成と展開―児童文学と特撮テレビ番組の分析―」(単著)『アカデミア 人文・自然科学編 第13号』南山大学
将来的研究分野 生政治・統治性の社会学的研究、子ども・青年文化の社会学
担当の授業科目 教育学概論、現代教育論、コミュニケーション論、教育社会学、子ども・青年社会学、自己と社会、社会学概説

子ども文化と青年文化を社会学的に研究するには

『ONE PIECE』、『プリキュア』シリーズ、『それゆけ!アンパンマン』、『妖怪ウォッチ』、戦隊シリーズ・・・(著作権の関係で画像は掲載できません・・・悪しからず!)、これらのマンガやテレビアニメ(含・特撮もの)が子どもに与えている影響は限りなく大きなものがあります。にもかかわらず、これらを研究することは非常に難しいものでした。というのは、まず、これらの文化が、研究という「高尚な」行為に値するとはなかなか考えられないからです。また、こうしたものが研究に値するとして、それをどのように研究すればいいのかよくわからない、ということがあります。さらに、「そんなもの」を研究して何になるのか、アニメやマンガそのもののこと以外の何かについていえることがあるのか、という疑問がもたれるからです。つまり、ストーリーやキャラクターの特徴や変化を見出したとしても、それはそのアニメあるいは現在人気のあるアニメの特徴なのであって、こういうものを作ればヒットする、という製作者側の販売戦略に貢献することぐらいしかできません。あるいは、このキャラクターに、このような設定に、このようなストーリーに、現代社会の○○な状況が反映している、という「批評」はできるかもしれません。それは批評止まりであって、批評をすべての作品に対して果てしなく繰り返さないかぎり、そこから一般的な理論へと結びつけることができそうにありません。すくなくとも、これら現代のマンガ・アニメが、過去の子ども文化とどのように同じなのかあるいは違うのか、比較することが必要です。

教育学では常識となっていることですが、フランスのフィリップ・アリエスという歴史学者がおおよそ次のようなことを述べました(邦訳『〈子供〉の誕生』みすず書房; 原著初版は1960年)。現在私たちが「子ども」について感じている「純粋無垢」だとか「守ってやらなくてはいけない弱い存在だ」とかというイメージは、18世紀後半くらいからヨーロッパで広まってきた見方・感じ方である。それ以前は、「子ども」は「大人」と明確に区別されていなかった―こうした主張を「子どもの発見」とか「『子ども』の誕生」というふうに言いますが、このような子ども観は、18世紀の思想家ルソー『エミール』(1762)によって当時のヨーロッパ社会に大いに広まりました。現代の私たちの子ども観もルソーに由来しています。ルソーの考え方にしたがえば、大人と子どもは違うものなのだから、子どもには子ども向けのものがあるべきだ、ということになります。こうして、子どもに向けた文学、すなわち児童文学が登場しました。はっきりした出発点はグリム兄弟が収集して手を加えた物語集『子どもと家庭のためのメルヒェン集』(ふつう『グリム童話』と呼ばれています)、しかもその第二版(1819)に見出すことができます。第二版の序文でグリムは「子どもの年齢にふさわしくない表現は、この版では注意深く削除しました」と書いて、初版に収められた物語(世間で語り継がれている間に子どもを意識してすでに手が加えられているものもありました)を隅々まで点検して、徹底して「子ども向け」の作品に修正してしまいました。このグリム第二版から始まる「子どもが読むのにふさわしい、という観点で設定された境界線、これを私は「子どもコード」と呼ぶことにしました。なぜ「コード」という言葉を使うかというと、テレビなどで公序良俗の観点から自主的に規制される境界線を「放送コード」「倫理コード」など呼ぶからです。子ども用に規制された掟・境界線が「子どもコード」なわけです。ここでは19世紀以降の児童文学の分析から、子どもコードを仮説的に図にしたものを掲げておきます。菱形の頂点にあるのは、テテーマ・モチーフとして子どもコードが許す極限であり、両矢印で外側に書かれているのは、コードを逸脱してしまったテーマ・モチーフです。

このような理論・概念を使えば、子ども文化の社会学的研究は、この子どもコードの構造の変化の研究に置き換えることができます。ここから得られた結論の大きなものは二つです。(1)「青年文化」は、子どもコードの外側に出ること(私は「脱コード化」と呼びました)を特徴としている、(2)現代の子ども文化は、コードのより内側へ入り込む傾向がある。こうし理論や概念を使えば、今後、子ども文化だけでなく、子ども文化と青年文化との関係、現代の青年の特徴についても研究していくことができると考えています。