南山の先生

学部別インデックス

人文学部・心理人間学科

川浦 佐知子

職名 教授
専攻分野 アイデンティティ研究、質的研究法
主要著書・論文 「先住民の保留水利権と「文明化」―合衆国最高裁判決と先住民主権の未来」『アメリカ研究』第57号(2023)
「部族主権の記憶と合衆国史への反駁―ノーザン・シャイアンの史跡化営為」『アメリカ研究』第50号(2016)
「歴史と記憶の交差にみる「質」―北米先住民の「記憶の場」をめぐって」『質的心理学フォーラム』Vol.5(2013)
将来的研究分野 北米先住民の集合的記憶
担当の授業科目 「質的研究法Ⅰ・Ⅱ」「知識・言語と情報社会:知識の探求(21世紀のコスモロジー)」他

「インタビュー」という手法

ノーザン・シャイアンの人たちとの関わりは、アメリカ留学中であった1990年代半ば、モンタナ州にあるノーザン・シャイアン・インディアン居留地に訪ねたことに始まります。居留地で英語を教えた経験をもつ友人の紹介で、シャイアンの人たちと知り合い、年に一度の訪問を重ねるうちに、彼らの体験をより深く知りたいと思うようになったのが、現在の研究を始めるきっかけでした。このように書いてしまうと簡単ですが、「研究」ということになれば、当然「距離」のとり方も考えなくてはならず、迷いもありました。結局、研究というかたちで一歩踏み込んだのは、シャイアンの人たちとの出会いから10年近くを経てのことです。友人の友人として出会った人たちの生い立ちや経験を知るうちに、留学先であった「アメリカ」という国を新しい目で見直すことになり、また自分の研究テーマであった「アイデンティティ」についても、歴史的文脈を考慮したうえで考えることになりました。

私にとって「インタビュー」は馴染み深い研究手法であり、シャイアンの人たちに出会う以前から、インタビューでの語りを分析することで、個人のアイデンティティの変容や、個人が体験する複数のアイデンティティ間の葛藤の様などを検討してきました。インタビューでの「語り」を、ナラティブ手法という方法で扱い、語り手が体験をどのように紡ぎ、それによってどのような意味を体験に付与しているのかを考察してきたわけですが、シャイアンの人たちの語りに出会ったことで、自分のそれまでのやり方が非常に限定的なものであることが分かってきました。語り手の「語り」の文脈が、研究者自身が背負う歴史的・文化的文脈と大きく異なる場合、研究者は語り手個人の日常世界、価値観、世界観を理解するだけでなく、語り手が属する集団の歴史や文化を理解しなくてはなりません。アメリカ先住民の語りを扱うのであれば、「部族」という共同体が、アメリカ合衆国という「国家」の枠組みのなかで集団としての流動性、移動性を失い、数々の「対インディアン政策」に翻弄されてきた歴史を理解する必要があります。また一概に「アメリカ先住民」といっても、各部族にはそれぞれ異なる来歴、存続のための戦略があるため、部族独自の歴史認識といったものも考慮しなくてはなりません。そうした国家の歴史や政策、部族の歴史認識に関わる知識なしに、個人の語りを正当に理解することはできないからです。当初は「語り」をより深く理解するために書籍や史資料をあたっていましたが、最近では歴史―特に19世紀後半から現在に至るまでの出来事―の理解に費やす時間が増えています。

とはいえやはり現地に赴き、旧知となった人たちに会って近況を伝え合い、同時にまた新しい人たちとインタビューを通して知り合う時間は、私にとってかけがえのないものとなっています。インタビューは個人の体験を直接伺える貴重な機会であると同時に、一期一会の「共有」が成される場でもあります。私が投げかける問いに対して、「日本ではどうなのか?」という問いかけがなされることもあります。大方において日本は「アジアの豊かな国」として捉えられていますが、経済格差が広がりつつあること、自殺者が年間2万人を超えること、若者が未来を思い描くことが難しくなっていることなどを伝えると驚かれることが多いです。

インタビューは書き起こされて「逐語録」となり、「データ」として扱われますが、「語り」のもつ力は「データ」という枠組みに納まりきるものではありません。シャイアンの人たちは元来、口承で部族の創世記、伝説、季節や土地に関わる物語などを伝えてきたためか、個人の体験の語りを聴いていても多くのイメージが喚起されます。「分析」という研究における一区切りを終えた後でも、やりとりがなされた場の状況や、語り手のしぐさや表情、話の内容から浮かび上がったイメージ等はない交ぜになって、私の中に深く沈殿し、残り続けています。