南山の先生

学部別インデックス

人文学部・日本文化学科

籾山 洋介

職名 教授
専攻分野 日本語学(意味論)、認知言語学
主要著書・論文 『日本語は人間をどう見ているか』(単著、2006、研究社)、『多義動詞分析の新展開と日本語教育への応用』(共編著、2019、開拓社)、『実例で学ぶ認知意味論』(単著、2020、研究社)、『[例解]日本語の多義語研究:認知言語学の視点から』(単著、2021、大修館書店)
将来的研究分野 言語表現(特に、語)の「意味」とは何か。百科事典的意味の系譜。
担当の授業科目 言語分析A、現代日本語の構造、日本文化学演習

身近な言葉を考える楽しみ

まず、私が長年取り組んできたテーマとして「多義語の研究」があります。多義語とは、簡単に言うと「関連のある複数の意味を有する語」のことです。日本語に限らず、どの言語でも、基本的な語の多くは多義語です。たとえば、日本語の「かたい」という形容詞には、「この肉はかたい」「結束がかたい」「かたくお断りします」「ドラゴンズの優勝はかたい」「表情がかたい」などの使い方があり、相当数の(関連のある)異なる意味を持っていると考えられます。さて、多義語分析の課題として少なくとも以下の4つがあります。

  1. 何らかの程度の自立性を有する複数の意味(多義的別義)の認定
  2. プロトタイプ的意味(基本義)の認定
  3. 複数の意味の相互関係の明示
  4. 複数の意味すべてを統括するモデル・枠組みの解明

以上の課題について、言語事実に基づく具体的な分析方法を提案してきました。少しだけ補足説明をします。(2)について、「ところ」という語には、「私が住んでいるところは緑が多い」「このところ、いい天気が続いている」「思うところを率直に述べる」などの言い方がありますが、最初の例のおおよそ「空間(場所)」の意味が直観的に最も基本的だと感じられるでしょう。この直観は、「ところによってにわか雨が降るでしょう」というように、空間の意味の場合には、修飾要素を伴わなくとも使うことができる(つまり、用法上の制約がない)という言語事実によって裏付けられます。

次は、概念メタファー、つまり、ある対象(=目標領域)を、別のよくわかっている物事(=起点領域)を通して理解するという認知の仕組みが言語表現の基盤を成すという考え方です。例として、「ピアニストのタマゴとして日々練習に励む」「あの程度のピアニストはまだまだヒヨッコだ」「あのピアニストが世界に羽ばたく日も近いだろう」などの日常使われる表現を見てみましょう。「タマゴ」「ヒヨッコ」「羽ばたく」はいずれも本来「鳥」に関する言葉です(「タマゴ」は、鳥だけでなく、魚や虫が産むものも表せますが)が、ここでは「人間」を描写するのに使われています。このように、「鳥」に関する一連の表現が「人間」を描写するのに使われるのは単なる偶然ではなく、基盤として、「鳥」を通して「人間」を捉える、「人間」を「鳥」に見立てて理解するという概念レベルの営みが、日本語話者の頭の中にあるからだと考えられます。さらに言えば、「鳥」のわかりやすい面(「タマゴ→雛(ヒヨコ)→成鳥」という成長のプロセスにおける変化)に基づいて、「人間」に対する理解を深めることの反映として、上記の言語表現が成り立っていると考えられます。

さらに、近年、取り組んでいるのは、(言語表現の意味とは何かということを見据えて)言語表現(特に、語)の「百科事典的意味」というテーマです。百科事典的意味と言っても、百科事典には(実際に)どのような情報が掲載されているかということではありません。百科事典的意味観とは、従来区別されてきて「言語に関する知識」と「事物・世界に関する知識」を峻別することはできず、両者は連続的であると考える意味観です。たとえば、「生まれ変わったら鳥になりたい」という文は、おおよそ「大空を飛べるようになりたい(さらに、自由な生活がしたい)」という意味に理解できます。このように理解するには、典型的な鳥には「飛ぶことができる」という特徴があるということを認めなければなりません。

以上の記述からおわかりになると思いますが、私達が普段特に意識せず使っている日本語も、ちょっと立ち止まって考えるといろいろとおもしろいことが見えてきます。言語学(特に、意味論)の考え方を学んで、共に日本語についての理解を深め、さらには、新しい発見を目指しましょう。