南山の先生

学部別インデックス

人文学部・キリスト教学科

DANCAR,Aleksander

職名 准教授
専攻分野 基礎神学
主要著書・論文 1. “Revelation and Religious Experience: A Critical Study of René Latourelle’s Theology of Revelation”, single author, Journal of Asian Orientation in Theology, Vol. 3. No. 2, August 2021, pp. 175-194. (19p.).
2. Hominis Dignitati, An Interdisciplinary Approach (Chap. 8 “Anthropological Foundation of Transcendental Dignity of Human Beings in the Thought of Karl Rahner”), 383p. (pp. 133-173), (40p.), co-authored, Robert Kisala et al. (eds.), Logos Publications, 2022.
3. Memungut Remah-Remah yang Tercecer di Jalanan Peziarah (Prolog), [Picking up the Crumbs of the Word scattered on the Pilgrim's Streets], xxxii+281p. (pp. viii-xxiii), (16p.), co-authored, Robertus Jematu, Jejak Pustaka, September 2022.
4. “Partecipazione alla riscoperta della vitalità del Vangelo (un’osservazione autocritica)” (Participation in the rediscovery of the vitality of the Gospel: a self-critical observation), single author, Nanzan Journal of Theological Studies Supplement, Faculty of Theology approved by the Holy See in Nagoya, Department of Christianity, Faculty of Humanities, Nanzan University, No.37, March 2022, pp. 1-23. (22p.).
将来的研究分野 コンテクスチュアル基礎神学
担当の授業科目 宗教論、基礎神学(啓示論)、組織神学(三位一体論)、キリスト教学基礎演習

神学で何を勉強するのか

私のフルネームはAleksander Dancar です。カタカナでは アレクサンダー・ダンチャーになります。家族や友⼈からは「アレックス」と呼ばれています。 「Dancar」は苗字ですが、私の部族の⽂化では、苗字は⽗⽅、⺟⽅どちらかの名前を受け継ぐのではなく、家族が部族の他のメンバーとともに⾏う命名式で与えられます。 つまり、「Dancar」は私たちの部族における伝統的な「熟議⺠主主義: deliberarive democracy」を通して作られた苗字です。 「アレクサンダー」は、キリスト教の洗礼を受けたときに付けられた名前です。

インドネシア出⾝で、正確に⾔うと、16 世紀初頭にポルトガル⼈によって「フローレス島」と名付けられた島の出⾝です。 いくつかの先住⺠族はこの島を「ヌサニパ」と呼びます。 ヌサは「島」、ニパは「⼤きくて強い蛇」を意味し、「⿓」の⼀種です。ヌサニパの⻄には、「コモドドラゴン」と呼ばれる世界最⼤のトカゲ(Komodo)が⽣息する「コモド島」があります。

フローレス島のレダレロにあるカトリック哲学・神学⼤学でコンテクスチュアル(⽂脈)神学の修⼠号を取得した後、2010 年にカトリック司祭に叙階されました。2011年に「Societas Verbi Divini: SVD」(神⾔会)の会員として⽇本に派遣され、2年間(2011年から2013年)南⼭⼤学の別科で⽇本語を学び、約1年間安城教会で助任司祭として司牧の仕事をさせていただきました。

2014年から2016年まで、イタリア・ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ・スクオーラ(Leonardo Da Vinci Scuola)でイタリア語を学び、その後ローマのグレゴリアン⼤学で基礎神学の「リンセンシアト」(修⼠号)を取得しました。 ドイツの「Sprachinstitut Kreuzberg Bonn」で1 年間(2016 年から2017 年)ドイツ語を学んだ後、グレゴリアン⼤学に戻って基礎神学の博⼠課程の研究を続け、カール・ラーナーの神学的⼈類学とハンス・ヴァルデンフェルスのコンテクスチュアル基礎神学について博⼠論⽂を書きました。これら⼆⼈の神学者の考えに照らして、⼀般的な宗教実践と特にインドネシアにおけるキリスト教実践の⽂脈において、その妥当性と重要性について検証しました。

2022 年度から南⼭⼤学⼈⽂学部キリスト教学科で神学・宗教のいくつかの講義を担当することになりました。 私が教えている授業は、三位⼀体論、宗教論、啓⽰論です。他には、1) キリスト教の基礎的な概念(キリスト教学基礎演習IIA)、 2) キリスト教の基礎的な実践 (キリスト教学基礎演習IIB)、 3) キリスト教神学における⼈類学的逆転 (キリスト教学演習IIA)、 4)⽇本の宗教実践におけるキリスト教の霊性 (キリスト教学演習IIB)、 5)⽇本⼈のマインドの⽂脈における超越キリスト論 (キリスト教学演習IIC)を担当しています。

私の研究分野は、神学的知識の形⽽上学、宗教に関係がある哲学・社会学・⼼理学、神学的⼈類学、コンテクスチュアル神学、司牧神学、解放神学、社会政治神学です。神学を研究する上で私の最⼤の関⼼はキリスト教の信仰と神学の最もらしさ(妥当性)、そしてキリスト教の実践の神学的・⼈類学的信頼性です。様々な学術的調査や研究において、神学のテキストとそのコンテクスト両⽅に対して批判的なアプローチを使⽤しています。

神学では何を勉強するのか?

基礎神学の神学者として、私は神学を神の科学としてではなく、⼈間が「神」という⾔葉を発⾒する科学として理解しています。「神」という⾔葉に意味を⾒出せない⼈はたくさんいるでしょうし、もしかしたら、その⾔葉に意味を求める必要すらないと感じている⼈も多いかもしれません。 しかし、「神」という⾔葉を⼈間の⾔語から消すことは、誰にもできないと思います。⼈間の⾔語の歴史における「神」という⾔葉の存在の最も基本的な理由は、形⽽上学的な⼈類学的分析によって知ることができると思います。

神学的⼈類学研究において、私は宗教家が信じる神について研究する前に、その神を信じる⼈々の⼼の基礎的な条件を理解する必要があると思います。聖書の神についてではなく、主に神の⾔葉を聞いて書いた⼈間の⼼の奥義・神秘について研究しています。しかし、これは⼼理学ではなく、形⽽上学的・神学的⼈類学です。コンテクスチュアル基礎神学の研究では、特定の神学を⽂脈化したり、特定の⽂化的⽂脈で神学を分類したりしません。私がコンテクスチュアル基礎神学の研究で⾏うのは、様々な⽂化的⽂脈や⼈間⽣活の問題において「神秘である神」を⾒つけようとすることです。しかし、これは社会的現象学ではなく、現象学的アプローチによる形⽽上学的・神学的⼈類学です。

コンテクスチュアル基礎神学の研究では、特定の神学を⽂脈化したり、特定の⽂化的⽂脈で神学を分類したりしません。私がコンテクスチュアル基礎神学の研究で⾏うのは、様々な⽂化的⽂脈や⼈間⽣活の問題において「神秘である神」を⾒つけようとすることです。しかし、これは社会的現象学ではなく、現象学的アプローチによる形⽽上学的・神学的⼈類学です。