南山の先生

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人文学部・キリスト教学科

清水 美佐

職名 講師
専攻分野 ビザンティン美術史
主要著書・論文 「後期ビザンティン聖堂装飾における『受胎告知』:背景描写にみる受肉の表現」『エイコーン:東方キリスト教研究』47、2017年、53-77頁
将来的研究分野 聖母の予型論とその図像表現
担当の授業科目 キリスト教美術Ⅰ、キリスト教美術Ⅱ、キリスト教文化

なぜビザンティン美術は平面的なのか

 「キリスト教美術Ⅰ・Ⅱ」の講義では、ビザンティン美術(東方キリスト教美術)の作品を中心に見ます。ビザンティン美術は、キリスト教では正教(Orthodox)とよばれる宗派の美術ですが、日本で目にすることの多いカトリック圏の美術(西方のキリスト教美術)とはかなり雰囲気が異なります。
作品をひとつ見てみましょう。聖母子を描いた板絵で、12世紀につくられたものです。この絵を見て違和感をおぼえる人もいるかもしれません。プロポーションに不自然なところがあるし、どうも全体的にのっぺりして立体性が感じられない、など...。この平面性の強さ、「リアルではない」表現こそが、ビザンティン美術の特徴のひとつです。この表現には、かつてビザンティン帝国で起きた偶像崇拝禁止についての大論争が関わっています。
 今でこそキリスト教美術は当たり前のように存在していますが、キリスト教はもともと、神を美術に表すことを厭う宗教でした。旧約聖書には、偶像崇拝を避けるべきことが繰り返し語られています。たとえば、神が人に与えた掟とされる「十戒」では、次のように記されています。「......あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない(出エジプト記20章4-5節)」。しかしながら聖書の記述に反して、キリスト教は最初の数世紀のうちに美術表現を受け入れました。礼拝像を否定する立場は一定数あれど、布教や信徒の教化に役立つ美術を使用することはやむをえないという立場のほうが強く、数百年のあいだ美術表現がつくられ続けました。
 ところが8世紀から9世紀にかけて、ビザンティン帝国では皇帝の主導により、イコノクラスム(聖像破壊運動)とよばれるキリスト教美術の破壊が起こります。キリストや聖母マリアなどを描いた壁画は十字架に作り変えさせられ、板絵は集めて焼き捨てられるなどしました。この期間、聖像反対派・賛成派はそれぞれ議論を戦わせます。破壊派の主張は、神は不可視であって絵に描けるはずがなく、聖なる存在を形作って礼拝することは聖書に書いてあるとおり偶像崇拝だ、というものです。これに対し、聖像を擁護する人々は次のような論理を用いました。神(キリスト)はかつて、人間の姿をとってこの世に生まれ、目に見える姿になったのだから、絵に描くことが可能である。また、聖像の物質それ自体を拝むのだとしたら偶像崇拝にあたるけれども、画像を通してその向こうにある真の神を礼拝することは偶像崇拝ではない、というものです。
 最終的には聖像擁護派が勝って、イコノクラスムは9世紀半ばに終結し、聖画像は正統なものと認められました。ただし偶像崇拝の危険を避けるために、ビザンティン美術では丸彫り彫刻をつくらず、平面性の強い表現にするなどの制約ができ、以降その表現が受け継がれました。はじめに見た作品の平面性の強さは、三次元的に表現する技術がなかったのではなく、あえて平面的であるように描かれていたわけです。(一方、カトリック圏では東側のような大規模な聖像論争は起きず、聖像の立体性が忌避されることもなかったため、絵画のキリストや聖母は人間らしい姿をとり、立体的な聖像も積極的につくられています。)
 講義ではキリスト教美術の作品を見るとともに、作品のつくられた時代の背景や思想なども扱います。美術を通して、キリスト教を様々な角度から知る楽しさをお伝えできればと思います。

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