南山の先生

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人文学部・キリスト教学科

岡嵜 隆哲

職名 准教授
専攻分野 キリスト教古代教父
主要著書・論文 「アウグスティヌスにおけるキリスト者の戦い ― 恩恵と自由意志をめぐる一考察 ―」(単著)
将来的研究分野 哲学・宗教思想における言語・対話(内的対話と外的対話)、および探求の問題
担当の授業科目 初期キリスト教思想、ラテン語など

キリスト教とヨーロッパ精神・世界の形成

いま私たちが生きているこの世界で、ヨーロッパないしは欧米世界が持つ影響力の大きさというのは(それを好もうが好むまいが、あるいはそれを積極的に評価するにせよそうでないにせよ)、多くの人が認めざるをえないものと思います。近代以降、私たちは全世界的な規模で広がる西欧文明の支配力を無視できず、何らかの仕方でそれを受け入れつつ、近代社会と呼ばれるものを形成してきたと言っていいでしょう。そのばあいに、そうしたヨーロッパ世界の持つ力ということで、私たちがまず思い浮かべるものとしては、おそらくはテクノロジー(自然科学と結びついた技術力)や産業資本経済といった、いわゆる物質的、経済的な意味での豊かさを保証する諸々の事柄が第一に挙げられるかと思います。たしかに明治以来の日本も含めて、19世紀以降、私たちはそうした西欧文明がもたらすいわゆる文明の利器の威力に魅了され、あるいは圧倒されるかたちで、全世界的に社会、経済の制度、および生活様式を変遷させてきたと言えるでしょう。

しかしながらヨーロッパ世界というものを、もっと本源的な姿において、またその魅力や奥深さをもっと立ち入って私たちが理解しようとするのであれば、そのような近・現代文明の生みの親としてのヨーロッパではなく、それよりももっとさかのぼって、もともとのヨーロッパ世界がその礎を確立したところの初期キリスト教、ないしは古代キリスト教の時代におけるその成り立ちについて、正しく理解するのでなければなりません。なぜならヨーロッパ世界とは、その深層をなす精神において、近代文明よりも元来遥かに巨大な背景を持つヘレニズムとヘブライズムという二つの精神文化を基礎として形成されているものであるからです。ここで言うヘレニズムというのが、(広い意味では)キリスト教が到来する以前のヨーロッパ(地中海世界)で支配的であった古代ギリシア、ローマの伝統を指すのにたいし、ヘブライズムというのが、紀元1世紀以降新しくそこにもたされることになったユダヤ=キリスト教の伝統を指します。元来科学技術や資本経済システムといった近代世界独自の習俗や社会機構なども、じつはもともとそうしたヘレニズムとヘブライズムの総合から成るヨーロッパ世界が文化的、文明的に内包していた可能性のうちで、ある特殊な性格の部分が独走して展開し行ったものだとも考えられるのです。

近年、近代西欧文明に端を発する近・現代社文明、社会の行き詰まり、ないしはその限界ということが言われるようになっています。それにたいし、日本も含めた広く非西欧的な文化・文明圏の伝統的な習俗や考え方などを顧み、それらを取り入れ、あるいはそれらでもって西欧的な考え方に対抗させるということも興味深く、また意義のある試みであることでしょう。しかしながらそれと合わせて、私たちは近代文明というものについて反省し評価するにあたって、あらためてそれがもともと由来するところの本源的なヨーロッパの伝統について顧み、そこに学ぶことについても怠ってはならないでしょう。

初期キリスト教の時代にヨーロッパ世界を舞台として起こったヘレニズムとヘブライズムの出会い、およびそこに生じた両者の折衝と総合の歴史というのは、まさに人類の精神文化史上最大のドラマと言っても過言ではないほどの壮大な出来事でした。そうした困難な試みを担って格闘した初期キリスト教の思想家たちのことを、古代教父と呼びます。古代教父たちが格闘の末にもたらし、その後のヨーロッパ世界の根幹を形成することになった思想には、たんに特殊西欧的なものにとどまるのではない、人類の精神史において普遍的に共有され、継承されるべきものが含まれているのではないでしょうか。これからの私たちの文明の歩みを展望するうえで、近代以降ヨーロッパが、またそれに席捲された近代世界が突き進んできた道とはまた異なる選択肢を探るにあたっても、古代教父を初めとした当時のキリスト教思想家たちの精神にふれることはひじょうに意義を持つ、またスリリングな体験であると言えるでしょう。