南山の先生

学部別インデックス

人文学部・キリスト教学科

SOUSA,Domingos

職名 教授
専攻分野 組織神学、仏教学
主要著書・論文 「信仰と歴史の問題―キェルケゴールの立場―」(『宗教研究』79巻344号、2005年)、“Shinjin and Faith: A Comparison of Shinran and Kierkegaard.” The Eastern Buddhist 38, no 1&2 (2007)。
将来的研究分野 比較思想
担当の授業科目 「神学的人間論」「宗教論」「キリスト教概論」「東西比較思想」

宗教に根差した人間観

国際化、グローバル化の著しい現代においては、異なる文化、宗教を有する人々と日常的に接する機会も増えています。宗教を信じていなくても、自分の文化について理解を深めるとともに、他の文化をも受け入れる態度を育成しようとすれば、宗教という現象を理解する必要があります。文化の根底にある宗教が分からなければ、人間を本質的に理解することはできないでしょう。

宗教は人間の文化現象ですが、他の文化現象と異なって、人間を超えるものに対する人間の究極的なかかわりと究極的な生き方を扱っています。人間であることと人間が宗教的であることとは切り離せない関係にあります。私たちは人間とは何か、と問いつめていくと、最後にはどうしても宗教的問題にたどり着き、人間のアイデンティティはどれほど深く宗教に根差しているかが明らかになります。

日本人の多くは、自分たちを無宗教的だと見なしていますが、それは、自分たちの日常の宗教行事や、宗教に根差した伝統的な生活様式が宗教的ではないと思っているからだと言えます。日本人は、特定の宗教集団に意識的に所属することはありませんが、明確に意識されることのない宗教心が自分の行動様式を規定していることがあります。日本人の宗教性の特徴は、神の教え、あるいは神の戒律を守ることにあるのではなく、全体的な調和の中で生きるということにあると言えます。

それに対して、キリスト教では神の存在あるいは神の言葉とそれに対する人間の応答が中心的なものとなり、神とその神を信ずる人の人格的な関係が宗教のあり方なのです。こうした宗教観から特有な人間理解が生じてきます。人間とは何なのかという問いは聖書全体において模索されていますが、「創世記」の創造物語がその中心的箇所となります。そこでは人間が神に「かたどられ」、「似せて」創造されたと語られています。これは人間を神の似姿として規定するキリスト教の人間論の根拠となり、神学・哲学的展開によって西欧文化における人間理解の基本を形づくるのです。

多面的な宗教現象を考察し、そこに潜んでいる人間観を解明しようとするのが、私が担当する講義の目的です。