南山の先生

学部別インデックス

人文学部・キリスト教学科

VARGHESE,Rejimon

職名 講師
専攻分野 典礼神学
主要著書・論文 Active Participation of the Local Church in the Enactment of the Eucharist in the Thought of Edward J. Kilmartin, (Ann Arbor, MI: UMI, 2012)
『典礼憲章』の「行動的参加」の神学について(『南山神学』37号2014年3月pp.149-168)
Sacramental Participation – The Church’s Pneumatological, Christological Engagement – (『南山神学』39号2016年3月pp. 111-158)
“CARNIS RESURRECTIONEM”– Origins and Implications –(『南山神学』40号2017年3月pp. 217-228)
将来的研究分野 典礼神学、秘跡神学、キリスト論

典礼と秘跡

「秘跡」という言葉はラテン語の「サクラメントウム」(sacramentum)に由来します。このラテン語はまた秘儀や神秘を意味するギリシア語の「ミステリオン」(mysterion)の訳です。秘跡はその祭儀において存在するものなので、典礼と秘跡は密接に相互に関係しています。

秘跡祭儀において行われる目的は二つです。一つ目は信者が唯一の神に礼拝を捧げることです。二つ目は信者が神によって聖化されることです。

4世紀頃の聖・アウグステヌスは、秘跡を見えない恵みの見えるしるしと定義しました。今日に至るまで、秘跡論はアウグステヌスのこの重要な定義を基盤として発展してきました。

歴史的なイエス・キリストは、目に見えない父なる神の目に見えるしるしです(ヨハネ14:9;コロサイ1:15参照)。イエス・キリストの人性は、人々を聖化する働きを行う救いのサクラメントウムです。この救いの働きが続けられるために、イエスは教会に7つの秘跡(洗礼、賢信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻)を与えました。イエス・キリストの救いの働きは、教会のこの諸秘跡を通して現実のものになっているので、イエス・キリストは「原秘跡」と呼ばれます。

復活したキリストは時空を超えた存在となっているので、歴史的イエスに出会ったような経験はあり得ません。しかし、キリストの神秘的からだである教会が執り行う秘跡祭儀において信仰の目でキリストと出会うことが可能です。そのように信者は父なる神へと導かれるのです。教会はキリストの制定した「ことば」と「しるし」をもって、秘跡を祝うことにより恵みがもたらされるのです。そのため、教会は「根源的秘跡」と呼ばれます。

救いの恵みを全人類にもたらすために、神のことばが受肉し、人間イエスとなりました。そのイエスは苦しみを受け、十字架上で死に、復活し、そして御父のもとから聖霊をこの世に送りました。こうしてイエスは教会を設立しました。教会を通して、特に秘跡祭儀において、イエスはご自分の使命を継続しています。教会の秘跡祭儀を通して人々はその恵みを頂くことができるのです。

「恵み」と聞くと、抽象的なものだと思うかもしれません。具体的に「恵み」とは、秘跡祭儀においてキリストの過越の神秘に参与することによって増大化される神への愛、希望、信仰を指します。すなわち、「霊的恵み」のことです。(因みに、典礼や秘跡祭儀における祈りによって癒される病のことは、「身体的恵み」と言います。)

「典礼」とは、「一定の儀式」と説明することができます。教会の典礼の中で、「教会の祈り」、「祝福」、「葬儀」のようなものがあります。しかし、それらよりも重要なのは、教会の七つの秘跡です。この七つの秘跡には、信者の人生の様々な節目に行われる通過儀礼や加入儀礼(例:七五三、成人式、結婚式など)の要素(ことば、しるし、動作)があります。それと同時に、もっと重要なものもあります。つまり、秘跡はキリストによって制定されたものであり、聖霊の働きによって諸秘跡を通して人生のそれぞれの節目に応じる恵みが与えられていることです。諸秘跡祭儀におけるしるし「ことば、動作、モノ」はそれぞれの秘跡がもたらす恵みの意味を表し、その恵みを現存させる働きをします。感覚的な「しるし」(例:モノや動作)が「ことば」と結びついていて神の恵みの働きを指し示します。従って、秘跡とは神の恵みの働きを現存させる特定の「ことば」と「しるし」からなるキリストの教会のわざです。

キリスト教徒でなくても、誰でもが理解できるように諸秘跡の意味内容はごく簡単に南山大学キリスト教学科で提供されていますので、受けてみませんか。