南山の先生

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人文学部・人類文化学科

上峯 篤史

職名 准教授

石を読む

私たち考古学者は、過去の人々が残したモノから彼らの文化がどんなものだったのかを考えます。私は日本や東アジアの石器時代の研究をやっていますので、石器(石を割って作った道具)が主な情報源です。

今、新聞や本、古文書などの歴史史料にあたってそこに記された文字をたどれば、昔の出来事や当時の人々の考え方を知ることができます。比較的近年の出来事ならインターネットにも有効な情報があって、知りたい気持ちを即座に満たすこともできるでしょう。それでは反対にずっと昔、人類が文字を発明するより前のことを知りたければどうするか。それは彼らがのこした道具やゴミなどの物的証拠を手がかりに、当時の出来事を推定するしかありません。これらのモノの多くは意図してのこされたものではないため、文字にもとづく歴史研究とは異なる苦労があります。何より自分の観察眼を鍛えたうえでモノに根気強く向き合わないと、モノから情報を得ることができません。

石器は岩石を打ち割って作られるのですが、石器の作り手は行き当たりばったりに石を砕いていたのではありません。試行錯誤のなかで、岩石の性質や破壊の物理学的な知識を理解していたようです。石器はいくつもの割れ面に覆われていて、この割れ面には打ち割りで生じた様々な特徴や模様がのこされています。これをよく観察すると、一つ一つの割れ面の割れた方向がわかりますし、隣の割れ面とどっちが先に割れたのかもわかります。このような読解を続けていくと、どんな形の石が、どのような手順で加工されたのかが見えてきて、作り手がどんな意図で石を割っていたのか、この石器はどういう役割を期待された道具だったのかがリアリティを持ってわかってきます。石器のむこうに、何千年、何万年も昔にそれを作った人類の手が、彼らの工夫が見えてくるのです。そのような体験をするには、根気強く石器を観るのはもちろんのこと、自分で石器を作ってみたり、身の回りの割れ現象(お皿が割れたなど)にも興味をもつのが大切です。

割れ方だけでなく石そのものの特徴も、人類の過去について教えてくれる貴重な証言者です。石器には特定の地域でしかとれない岩石(たとえば黒曜岩)が使われるケースが多く、それらの岩石が数十km、ときに1,000km以上も遠くに運ばれて石器に利用されています。石器の材料がどこ産の岩石かがわかれば、その産地と遺跡とのあいだをモノや人が移動したことを示す強力な物的証拠になるのです。石の産地を知るため、私たちは石器時代人と同じく山野を駆けめぐって様々な岩石を集め、石器と比較していきます。それでも納得がいかないときには、石器に放射線を当てて化学組成を調べ、どの地域の岩石に一番近い元素比になっているのかを調査して産地を判断します。私は高校生の頃は化学が苦手でしたが、石器の産地を調査するために学び直しています。何が考古学で何が考古学でないのか曖昧なくらい、考古学はさまざまな研究方法が使える自由な学問です。自分に何を置いても知りたいことがあるなら、そこには文系も理系も関係ないのです。