南山の先生

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人文学部・人類文化学科

奥田 太郎

職名 教授
専攻分野 倫理学、応用倫理学
主要著書・論文 『倫理学という構え─応用倫理学原論』(ナカニシヤ出版)
将来的研究分野 情念に関する倫理学的研究、秘密と公開に関する倫理学的研究
担当の授業科目 「哲学・倫理学における人間の尊厳」、「生命と倫理問題」

自分の倫理観を理論的に解剖してみよう

私はいま倫理学を研究していますが、小中学生の頃は道徳の授業をまったく好きになれませんでした。道徳の授業で習うことはすべて自分にとって当然のことであり、わざわざそれを教えてもらうことがかえってとても嘘臭く思えたからです。そんな私がなぜ大学で倫理学の先生をやっているのか、不思議に思われるかもしれませんが、実は、大学で学ぶ倫理と小中学校で学ぶ道徳(倫理)は同じ道徳や倫理を扱っているのにまったく異質なものなのです。小中学校の道徳の授業では、先生は道徳や倫理を教えようとしますが、私の授業では道徳や倫理そのものについて考えようとするのです。もう少し簡単に言えば、道徳の授業はお説教と共感の時間ですが、倫理学の授業は批判的に考える哲学の時間です。当たり前のことを当たり前に受け取るのではなく、当たり前のことを言葉を用いて考えてみるわけです。

たとえば、道徳的に正しい行為とはどんな行為のことなのか、考えて説明してみて下さい。すぐに思いつくのは、約束を守ること、嘘をつかないこと、困った人を助けること、命を粗末にしないこと等かもしれません。では、これらの行為はどうして道徳的に正しい行為と言えるのでしょうか。この問いに対して、それは、これらの行為が社会のより多くのメンバーをより幸せにするような行為であるからだ、と答えることができるかもしれません。この答えは、ぼんやり聞いていると、とても納得のいくもののように思えてくるでしょう。しかし、よく考えてみると、より多くのメンバーがより幸せになれるのであれば、より少ないメンバーがより不幸になるとしても、その行為は道徳的に正しいと言えるのだろうか、という疑問が浮かんできます。こうした疑問にどう応えていけばよいのか、あれこれと考えていくわけです。また、仮に、道徳的に正しい行為とは社会のより多くのメンバーをより幸せにするような行為であるという考えを認めるとしても、さらに難しい問いが思い浮かんでくるはずです。たとえば、ここで言われている「幸せ」ってどんなものなのでしょうか。わたしたちは、「幸せ」としてどんなものを求めているのでしょうか。ここでは、「幸せ」を考えるために参考になる一つの問いを紹介しておきましょう。

あなたなら次の2つの世界のどちらを選びますか? ((a) or (b) or どちらでも同じ)

(a) あなたには、自分に好意的な親友たち、自分を愛している妻(夫)や子供たちがいて、あなたは、その親友、妻(夫)や子供たちが自分に好意をよせ愛してくれていると思っていた。実際に彼らはあなたのことを愛しており、彼らに見送られてあなたは生涯を終えた。

(b)あなたには、自分に好意的な親友たち、自分を愛している妻(夫)や子供たちがいて、あなたは、その親友、妻(夫)や子供たちが自分に好意をよせ愛してくれていると思っていた。あなたは、彼らに見送られて生涯を終えた。しかし、あなたはもはや絶対に知ることができないのだが、実は、彼らはお金をもらって雇われていた役者にすぎなかった。

この問いに対する答えからどんなことがわかるのでしょうか。むくむくと知的好奇心がわいてきたのなら、あなたはすでに倫理学の扉のドアノブをつかんでいるのかもしれませんね。