南山の先生

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人文学部・人類文化学科

宮沢 千尋

職名 教授
専攻分野 文化人類学、歴史人類学、ベトナム研究
主要著書・論文 「フランス植民地期のベトナム知識人ファム・クインの「言語・文化ナショナリズム」と西洋哲学思想観」廖欽彬ほか編『東アジアにおける哲学の生成と発展-間文化の視点から』所収、法政大学出版局、2022年。武内房司・宮沢千尋編『西川寛生「サイゴン日記」一九五五年九月~一九五七年六月』風響社、2015年。
将来的研究分野 近現代の日本とベトナムの関係と思想、グローバル状況下の人の移動を視野に入れて。
ベトナムにおける老人扶養観念の歴史的変化。
担当の授業科目 人類文化学科科目:「地域の文化と歴史(東南アジア)」、「歴史人類学」、「人類文化学基礎演習」、「人類文化学演習」。共通教育科目:「アジアとの出会い」

「ベトナムは遠きにありて思うもの」に非ずー文化人類学にとっての「ホーム」と「アウェイ」の区分の消滅

 私がベトナムに最初に留学したのは、昭和から平成に代わった直後で、それから1990年代の半ばまで2度、計4年間に亘ってベトナムで言葉と歴史を学び、1年半ほどは農村地域で人類学の調査、いわゆるフィールドワークをしていました。ベトナムは私にとって「第2のふるさと」です。

 当時、首都ハノイに長期滞在していた日本人の数は全部50~60人くらいだったでしょうか。ベトナムについた途端にベルリンの壁が崩壊したのは衝撃でしたが、東西冷戦の名残はすぐには消えず、日本とベトナムの国同士の関係もビジネスも盛んではありませんでした。一般のベトナム人が日本に来ることなど考えられず、1992年に一回目の留学が終わって帰国する時に、「自分が再びベトナムに来ない限り、お世話になった先生や友人たちと再会することはないだろう。いつ戻ってこられるか」と思ったのを憶えています。

 それから30年余りで、日本とベトナムの関係は大きく変わりました。平成時代に日本で暮らすベトナム人の数は40倍に増えたそうです。留学や結婚で日本に来る人もいますし、ビジネスや観光旅行で短期に日本に滞在する人もいます(2020年の新型コロナウイルス感染拡大以降は、ベトナムと日本の往来は制限されています)。

 その中で、特に「技能実習生」と言われる人々が急増しています。厚生労働省によれば、2020年10月現在でベトナム人技能実習生は21万人、技能実習生全体の約半数です。これらの人々は表向きには、「日本に最新の技術を学びに来て、それを身につけて母国に帰ってそれを活かす」という目的で来日しているのですが、実際には少子高齢化で労働力が不足している日本の工場や農業などを低賃金で支える存在になっています。労働環境の劣悪さ、賃金・残業代の未払い、ハラスメント、来日前に借金してブローカーに多額の渡航準備費用を払うなど多くの問題があることが従来から指摘されてきましたが、新型コロナウイルスの流行で日本経済が困難な状況になりました。失業する人々が増え、国にも帰れず、犯罪の加害者や被害者として報道されることもしばしばです。同時に、技能実習生制度の問題点も以前より知られるようになってきました。

 文化人類学者は自分の「ホーム」ではなく、「アウェイ」である異文化の社会でフィールドワークしてきましたが、グローバル化が進むにつれ、その前提が崩れてきたとも言われてきました。しかし、恥ずかしながら、「自分がそれをあまり意識しないでいるうちに、事態がどんどん進んでいることに今さらながら気づいた」というのが現在の私の正直な感覚です。

 2021年度から1、2年次生の「人類文化学基礎演習」の授業で、私自身初めて日本の移民や外国人労働者をテーマにしました。なんとなく聞いたことがあるけれど、学生も私も初めて知ることが多く、驚きの連続でした。いかに、私たちが移民や外国人労働者を視野に入れていないかを痛感しました。同時に、私たちのすぐ隣にいる外国人たちが、結婚やビジネス、留学、労働という多様な目的で来日し、それぞれの事情や抱えている困難も異なるということを意識しなければならないと感じてもいます。「かわいそうな外国人労働者」「問題を起こす人々」という一面的な見方をするのではなく、日本という私の「ホーム」にいる文字通り「隣のベトナム人」とどのようにつき合うかを授業の場で考えてみたいです。

推薦図書:望月優大『ふたつの日本 「移民国家」の建前と本音』(講談社現代新書、2019年)。
参考:「外国人雇用状況」の届出状況まとめ(令和2年10月末現在)(厚生労働省ホームページ)、2021年5月5日アクセス。