南山の先生

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国際教養学部・国際教養学科

南 祐三

職名 准教授
専攻分野 西洋史(フランス現代史)
主要著書・論文 ・『ナチス・ドイツとフランス右翼―パリの週刊紙『ジュ・スイ・パルトゥ』によるコラボラシオン―』彩流社、2015年、単著。
・「ジャック・バンヴィルのヴェルサイユ条約批判―一九二〇年代フランス右翼のドイツ観再検討のために―」『軍事史学』第56巻第4号、2021年3月、単著。
・「解放期から第四共和政下フランスにおける粛清―対独協力者はいかにして裁かれたのか―」、森原隆編『ヨーロッパの政治文化史 統合・分裂・戦争』成文堂、2018年3月、pp. 275-297所収、単著。
将来的研究分野 フランス第三共和政、第四共和政、第五共和政の政治社会史、19世紀から現代に至るまでのフランス右翼(極右)の歴史
担当の授業科目 歴史学、西洋史、グローバル化とメディア、中級フランス語、国際教養学入門、学びの技法

矛盾に満ちた人間の選択を歴史学的に考える

 私の専門はフランス現代史です。ここでいう「現代」とは、とりあえず1914年に勃発した第一次世界大戦以降の時代を指しています。さらに限定すれば、これまで「ナチの時代のフランス」を研究対象としてきました。つまり、1930年代から40年代前半のフランスの歴史です。具体的にどういう歴史を検討してきたのか、ちょっと難しいと思いますが、まずはそれを大まかに説明しましょう。

 1940年6月、フランスはナチ・ドイツに軍事的に敗北しました。のちに「第二次世界大戦」と呼ばれることになる戦争の話です。以後4年間、フランスは自国の領土をドイツ軍に占領されてしまいます。そして一部のフランス人は、それまで敵だったはずのナチ・ドイツに進んで協力する道を選択しました。これはCollaboration(コラボラシオン、対独協力)と呼ばれています。例えば、ある政治家は労働力不足に悩むドイツの要求に応じてフランス人労働者を、彼らの意に反してドイツに提供する政策を実行しました。ドイツの軍事組織のユニフォームを着用して、東部戦線で武器を取って戦った活動家や、ナチ・ドイツの総統ヒトラーの意に沿うような反共産主義・反ユダヤ・反英米のプロパガンダを担ったフランス人ジャーナリストもいました。

 一見不思議に感じられるのは、こうしたcollaborateurs(コラボラトゥール、対独協力者)のなかに「ナショナリスト」を自称する右翼が含まれていた事実です。一般的に「ナショナリスト」といえば、自民族の優位性を誇り、国益重視を信条とし、その裏返しとしてしばしばいずれかの相手(民族や国など)を蔑視ないし敵視する傾向をもっています。第二次世界大戦が始まった1939年の時点で、フランスのナショナリストにとって最も憎むべき相手は、まさにドイツでした。事実、彼らの多くは戦争開始後も、反独右翼ナショナリストとしてドイツ打倒を声高に叫んでいました。フランス右翼ナショナリストの対独憎悪は、歴史的に長い時間をかけて形成されたものです(1870年の戦争でも、1914年の第一次世界大戦でも、フランスの交戦国はドイツでした)。

 そのようなフランスのナショナリストが、敗戦をきっかけに、なぜドイツに進んで協力することを選んだのでしょうか。対独協力者になるというその選択は、「ナショナリスト」としてのプライドを傷つけはしなかったのでしょうか。そこにはどんな葛藤があり、彼らは自らの行動を周囲にどのように説明したのでしょうか。こうした問題を解き明かすためには、対独協力者たちが書き残した手記・回想録や当時のフランスおよびドイツの公文書を丹念に読み込み、考察する必要があります。私が担当する授業の一つでも、こうした私の主たる研究テーマが話の軸になります。西洋史において「現代」とはどう規定されているのか、「右翼」とは何のことか、「ナショナリスト」あるいは「ナショナリズム」は歴史的にいかに形成されたのか、第二次世界大戦はなぜ起こったのか、もっと前の時代に遡ると、仏独関係はどうだったのか。これらの疑問を解説しながら、Collaborationが投げかける歴史的問題について考えます。

 ところで21世紀に生き、しかも日本に住んでいるわれわれが、「第二次世界大戦中にナチ・ドイツに協力したフランス人」の歴史を学ぶことに、いったい何の意味があるのでしょうか。そんなことを知らなくても生きていける、自分の将来に全然関係ないと思う人もいることでしょう。確かにそうかもしれませんね。でも同時に、とても深く皆さんと関係しているかもしれませんよ。そう言われてもすぐにはぴんと来ないでしょう。無理もありません。おそらく皆さんはまだ、歴史学の力を知らないでしょうから。かくいう私も歴史研究者としてまだまだ未熟者なので偉そうなことは言えませんが、それでも約20年に及ぶ研究生活のなかで、歴史という学問は、いまの世界を理解するためにこそ存在しているということを確信しています。歴史研究に取り組んでいると、一見自分とはまったく関係のない時代、地域、テーマについての話が、じつはいまを生きる自分にこそ関係があるのかもしれない、自分や自分が住む社会がいま抱えている問題に直結しているかもしれない、という感覚にしばしば陥ります。過去を題材とする歴史という学問は、じつは過去ではなく、現在のことをちゃんとわかりたいと思っている人にこそ必要な学問なのです。そのような歴史学の存在意義を伝えられるような授業を心掛けています。