南山の先生

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国際教養学部・国際教養学科

林 愼将

職名 講師
専攻分野 言語学 (生成文法・統語論)
主要著書・論文 ・Labels at the Interfaces : on the Notions and the Consequences of Merge and Contain (Kyushu University Press, 2022)
・Labeling without Weak Heads (Syntax 23(3), 275-294, 2020)
・The Derivation of Non-Restrictive Relative Clauses and Their Invisibilities (English Linguistics 35(1), 65-95, 2018)
将来的研究分野 解釈システムが言語構造を解釈するメカニズム
担当の授業科目 言語論、ことばとは

人間本性と言語: 「何故だろう?」から始まる言語学

 人間は他の動物とは全く異なる生き物です。二足歩行で、体毛も少なく、固い皮膚や武器も無い等身体的な特徴もありますが、人間を他の動物と切り分ける最も際立った特徴は言語能力です。人間と同じ意味で言語を使える動物は自然界のどこにもいません。
 動物の場合、外界の状況 (敵がいる) や自分の内面 (お腹が空いた、俺は怒っているぞ) と彼らの「言葉」は基本的には一対一対応です。人間言語は、「太郎が好きな女の子」のように、一つの表現に複数の意味があり (この場合、好意を抱いているのはどちらがどちらに対してか)、人間言語と動物の「言葉」は質的に異なります。

 人間と動物は世界に対する向き合い方も異なります。言語学者ノーム・チョムスキーは、人間が科学を発展させた原動力として、willingness to be puzzled about the world (世界について不思議に思える気持ち) という表現を用います。動物は恐らく、世界について「何故だろう?」と思うことはしません。世界を所与のものと考え、その中に自分を適応させるのみです。

 ご存じのように、人間は能動的に世界にアプローチしてきました。すぐに思いつくのは、自然を切り開き自然界には存在しない物質を作り上げるような、「物理的に」世界に手を加えることですが、思考の面でも同じことを行ってきました。「何故蒸気は上に上がり、岩は下に落ちるのだろう?」というような疑問から出発して、その疑問に答えるために、混然とした世界をあるがまま捉えるのではなく、世界を抽象化・理想化し、その裏にある法則を見つけ出してきました。これまで皆さんも、「ただし空気抵抗/摩擦は無いものとする」と聞いたことがあると思います。落下や転がる速さの本質をつかむために、空気抵抗/摩擦の影響をいったん棚上げにしようという考え方ですね。抽象化・理想化は、自分が知りたい本質を見るために別の影響を捨象する点で、頭の中で、世界に能動的に手を加えることに他なりません。

 人間は、1. 「何故だろう?」と思うこと、2. 抽象化・理想化の二つの能力を用いて科学を発展させ、自然界の仕組みを明らかにしてきました。そうすると、同じアプローチで人間の言語能力を明らかにしようという考え方が生まれます。

 僕の母語が日本語なのは日本人だからではなく、赤ちゃんの時に周りの人が日本語を話していたからです。周りの人達が英語を話していれば、英語が母語になったでしょう。ここで、以下の違いを考えてみましょう。

(1) What did you eat yesterday?
(2) 君は昨日何を食べたの?

英語ではwh句を文頭に持っていかなければならない一方、日本語ではwh句の移動は不要です。各々の言語は全然違った風に見えるのに、赤ちゃんは世界のあらゆる言語を学ぶ能力があります。これは何故でしょう?
 日本語にも色々不思議なことはあります。

(3) 太郎が自分の息子を殴った
(4) *太郎を自分の息子が殴った
(5) 自分の息子を太郎が殴った
(6) *自分の息子が太郎を殴った

「自分の息子」が「太郎の息子」という解釈をしたい時、(3) と(5) は文法的ですが、 (4) と (6) は非文法的です。これは何故でしょう?
 そして最後に、以下の例です。

(7) The man has been working here for two years.
(8) The man who is tall is happy.

(7) を疑問文にするには、hasとbeenで前にあるhasを前に持っていきますが、(8) では、二つ目のisを前に持っていきます。これは何故でしょう?

 単語が左から右に並んでいる事実をありのまま見ていてもこれらの疑問に答えられません。僕らが見て聞いている単語の順序は言語にとって本質的なものではなく、目に見えない抽象的な構造を背後に仮定すると、そこに統一的なメカニズムが見えてきます。

 言語は身近なもの過ぎて気づきませんが、不思議なことはいくらでも転がっています。例えば日本語の「か」という音は口をどのように動かして発音しているのでしょう? 日本語の「僕は」と「僕が」の意味の違いはどのようなものなのでしょうか?

 「何故だろう?」と疑問を持つことは人間の人間らしさの最もたるものです。皆さんも (3歳くらいの子供に戻って) 今まで見過ごしてきたけれど周りに転がっている「何故だろう?」に、じっと立ち止まって考えてみると、(今まで知った気でいた) 世界も随分違って見えるかもしれません。