南山の先生

学部別インデックス

外国語学部・フランス学科

平田 周

職名 准教授
専攻分野 社会思想史、都市理論
主要著書・論文 ・「なぜ空間の生産がいまだに問題なのか」、『現代思想』、第45巻第18号、168-176頁、 2017。
・「ニコス・プーランザスとアンリ・ルフェーヴル−1970年代フランスの国家論の回顧と展望 」、『社会思想史研究』、第37号、115-133頁、2013。
将来的研究分野 都市研究
担当の授業科目 「フランス語」、「フランス社会特殊講義B」、「アカデミックフランス語」、「フランス現代史」、「演習」

フランス語、何の役に?

フランス語に限らず外国語をマスターすれば、習得した言語を活用して経済や文化の場で活躍することができる、とよく言われます。事実、その通りだと思いますが、ことばの学習には、そのような到達点に向かう過程があって、その過程もまた「おもしろい」です。以下では、そのことを私の研究と合わせて説明したいと思います。

そこでまず少し個人史を振り返ると、フランス語の学習は思想史という自らの専門と切り離すことができません。2001年から2005年にかけて文学部の学部生だった私は、最初の2年間は別の外国語を学んでいました。しかし、フランスの現代哲学に触れるうちに原書で読めるようになりたいと思い、3年次からフランス語の授業を登録するようになりました。フランスの現代哲学とは、世界でもおそらく最も有名な知識人サルトルから始まり、フーコー、ドゥルーズ、デリダという哲学者たちを主な担い手として第二次世界大戦後に生み出された思想潮流のことです。この思想潮流は、不思議なことに本国フランスよりもアメリカやイギリスといった英語圏で広く読まれ、研究対象となり、「ポスト・モダン」や「フレンチ・セオリー」という呼び名で流行しました。日本でも「現代思想」という呼称で、同名の雑誌が創刊されたことなどもあって広く読まれるようになりました。この思想のどこに魅力があったのでしょうか。そのひとつは〈領域横断性〉だと思います。それが従来の哲学の枠組みを超えて、まず文学の領域において新しい作品読解や解釈を提示する理論として用いられ、次により文化一般を理解するために用いられました。その後、影響は、人文科学のみならず、社会学、政治学、法学といった社会科学にまで及びました。結果、フランスの現代思想は、様々な知的交流を生み出しました。こうした領域横断的な学問間の交流やそこで提示される文化や社会に対する新しいものの見方や論じ方が非常に魅力的でしたし、世界各国からフランスに哲学を学びに来る多くの留学生が物語っているように、その魅力は今でも健在です。実際、この分野における私自身の研究は、フランス語の文献のみならず、英語圏で繰り広げられている議論の広がりを考慮せずには進めることはできません。

私の専門である思想史は、フランス語でhistoire des idéesと言います。idéesとは、英語のideaの複数形と同じ意味なので、思想史とは、様々なアイデアが生まれ、変化し、相互に関連づけられる「歴史(histoire)」を研究する営みと捉えることができます。思想史は、哲学の下位分野として位置づけられ、さらに社会思想史、政治思想史、法思想史、科学思想史といった分野に分けられます。なぜこんなにも広範な学問領域に関わるかと言えば、「思想=アイデア」のない学問領域は存在しないからです。したがって、思想史研究がそれ自体で何らかの制度やテクノロジーを生み出すことを直接の目的としたものではないとしても、思想はあらゆる知的活動を下支えするがゆえに、その研鑽は学問そのものの発展に寄与するものだと言えます。日々、哲学や思想に関して投げかけられる「ムズカシー」という言葉を私も耳にしないわけではありません。それに対する私からの返答は、「されど、アイデアのない日々の生活というのもモノガナシー」です。

さて、なぜこんな話が冒頭で触れた外国語の学習過程と関わりがあるのかと思うかもしれません。外国語学習には思想史と共通する過程があります。それはことばの意味を見定める作業です。言い換えれば、意味の定まらないものに意味を与える〈翻訳〉作業です。翻訳は異なる言語間で、たとえばフランス語から日本語へ、あるいはその反対に意味を置き換えます。ただしそれは機械的に辞書に載っている言葉で置き換えるのではなくて、文脈に即して意味を見定めなければなりません。それができるためには反復的な訓練はもちろん、フランス語の語学力だけでなく社会や文化に関する背景的知識が必要です。それでも、そうした過程を経るなかで、きっと「難しい」、「意味がわからない」と最初感じていたものに自分で意味を与える経験が得られると思います。

高校までは一般に先生が問題を出し、先生の答えにたどり着くことが目指され、勉強の意味も目的も先生によって与えられていたと思います。大学ではそこからステップアップして、自ら問いや課題を設定し、その妥当性を検討します。意味を与えられるのではなく、追い求める過程に慣れ親しみ、楽しんでもらえればと思います。