南山の先生

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外国語学部・英米学科

金  慧昇

職名 講師
専攻分野 イギリス経済史、イギリスジェンダー史
主要著書・論文 「1853 年プレストン・ストライキにおける女性労働者について:-女性の参加と自己認識についての考察-」『歴史と経済』第60巻2号、1-16頁、2018年。
「広がるネットワーク、広がるイデオロギー : 19世紀半ば「女性衛生協会」の活動について」『女性とジェンダーの歴史』第7号、48-64頁、2020年。
将来的研究分野 比較ジェンダー史(近代と現代、ヨーロッパとアジアの女性労働)

家庭と労働市場、そして社会における女性の地位

 OECDは2015年に、各国の有償労働と無償労働の時間を調査し、男性より女性の方が無償労働(家事、買い物、育児、介護、ボランティア活動など)により多くの時間を費やしていることを明らかにしました。調査の結果、東北アジア地域において、日本、韓国、中国の順で男性の無償労働時間が女性の方よりもはるかに短いことが分かりました(日本:女性224分、男性41分/韓国:女性215分、男性49分/中国:女性234分、男性:91分)。一方、ジェンダー格差の解消に積極的に取り組んでいる北欧諸国においてさえ、女性の無償労働時間は男性の方より長くなっています(https://www.oecd.org/gender/balancing-paid-work-unpaid-work-and-leisure.htm)。

 家庭において主に女性が家事・育児の担い手として位置付けられている状況は、男女間の賃金格差、正規・非正規(あるいはフルタイム・パートタイム)の雇用形態、長時間労働など、労働市場の環境と深く関わっています。女性が労働市場において男性と同等な労働者として認められなくなったのは、産業革命期以降の労働政策の結果でした。イギリスで始まった産業革命は、かつては家庭の中で行われていた生産活動を家から切り離しました。機械化と工業化は、安価で従順な児童と女性労働に対する需要を増やしました。初期の労働市場においては、労働政策と言えるものはほとんど存在せず、子どもと女性たちが工場や炭鉱などで劣悪な労働環境に置かれていました。

 次第に、過酷な作業環境から子どもたちを保護しようとする声が高まり、1800年以降は児童労働を規制する工場法が制定・改定されていきました。1833年まで、工場法がある程度実効性を持つようになると、今度は女性労働者に対する保護が求められるようになりました。女性労働を規制すべきと主張した主な理由は、児童を保護するためには、母たる女性もその対象とすべきということでした。当時、家庭における女性の家事・育児の役割を強調する言説が登場し、1840年代以降には、実際に成人女性を年少者と同等な立場として規定し、その労働を規制する工場法が制定・改正されました。しかし、そのような規制にも関わらず、女性の安い賃金は、雇用主・資本家にとって女性の雇用を維持・増加させる要因になり、男女の賃金格差は、今日の世界労働市場においても依然として存在しています。

 このように、家庭と労働市場は、女性の家事・育児時間と賃金労働時間を分け合う関係にあります。つまり、家父長制は家庭における女性の母・妻としての役割を必要とし、資本主義は女性の低い賃金と柔軟な雇用形態を必要とするということです。産業革命は、生産の場を家庭から切り離すことで、女性の労働時間という資源を、家庭と労働市場の間で配分しなければならない問題を生み出しました。そこで、女性は、家庭においては母・妻として、労働市場においては使いやすい労働者として、家長である夫=男性労働者とは異なる地位に位置付けられてきました。現在の資本主義経済体制は、そのような女性の低い社会的地位を前提として成立されたものです。19世紀後半以降、女性運動が社会・政治・経済・文化における様々な形の男女差別を問題視してきましたが、今日に至るまでどの国でも完全なジェンダー平等は実現されていません。産業革命の発祥地として、世界資本主義制度のモデルとなったイギリスの経済史とジェンダー史を学ぶことは、したがって、今の世界を理解するために有益かつ重要な一歩となります。変えようとしないと変わりませんし、知らなければ何を変えるべきかは見えてきません。イギリスの経済とジェンダーの歴史に関する理解を深めていくことで、より良い社会と世界を作って行く方法を考えていきませんか。