南山の先生

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経済学部・経済学科

梅垣 宏嗣

職名 講師
専攻分野 西洋経済史・社会福祉形成史
主要著書・論文 ・「ベヴァリッジによる『自由社会のための計画化』の変容 ―『友愛組合活用論』から『ヴォランタリー活動促進論』へ―」『社会経済史学』、社会経済史学会、第75巻第6号、2010年3月。
・「両大戦間期イギリスにおける労働と福祉について ―国民健康保険制度の運営実態分析を中心に―」『経済科学』、名古屋大学大学院経済学研究科、第60巻第3号、2013年3月。
・「両大戦間期イギリス国民健康保険制度における認可組合自治と被保険者選択」『南山経済研究』、南山大学経済学会、第28巻第3号、2014年3月。
将来的研究分野 社会福祉形成史における包括性と自律性について
担当の授業科目 「西洋経済史入門」、「西洋経済史A」、「西洋経済史B」、「経済演習Ⅰ」、「経済演習Ⅱ」

社会福祉形成史における「救済」と「自助」

産業化が進行していた19世紀のイギリス社会においては、「自助」がひとつの重要な価値観として根付いていました。1859年に刊行されたサミュエル・スマイルズの『自助論(Self-Help)』は、当時の労働者にも愛読され、日本においても明治初期に翻訳されて『西国立志編』の名で広く受け入れられました。そして、「自助」の精神を尊ぶ19世紀イギリスの労働者たちは、病気になった時や、歳をとって働けなくなった時のことをあらかじめ想定し、彼ら自身の力でそうした不測の事態に備える取り組みを始めました。それは集団的自助あるいは相互扶助的自助と呼ばれており、労働者は相互扶助組合を組織して組合員となり、お金を出し合って組合基金に積み立てていき、働けなくなった組合員はその基金から給付を受け取るというものでした。ただしこうした相互扶助組合に加入することができたのは、高所得の熟練労働者に限られていました。組合に加入するためには入会金を支払わなければならず、さらに継続的に掛金を支払い続けなければならなかったため、低所得の労働者たちは結果的に排除されていたのです。

それでは低所得の労働者たちは、働けなくなった時にどうしていたのでしょうか。彼らの多くは、産業化以前から既に制度化されていた、救貧法による「救済」を受けていました(現代の日本でいえば生活保護制度に相当するものです)。しかし救貧法には懲罰的な規定があり、そもそも当時のイギリス社会においては救貧法「救済」を受けることそれ自体が恥辱とされていました。上記の相互扶助組合が発展したのは、この恥辱を何としても避けたいという上層労働者らの思いの結果でもありました。「救済」を受けなければならないような状況になるのはその人が怠け者だからである、貧困は自己責任であるといった認識が、当時の人々の間で広く共有されていました。

このような認識に根本的な修正を迫ったのは、19世紀末から20世紀初頭にかけて行われた一連の社会調査でした。調査によって明らかになった貧困の悲惨な実態は人々に衝撃を与え、また、必ずしも個人の努力だけでは貧困に対処することができないという現実をつきつけました。とりわけ、働いているにもかかわらず貧困状態に陥ってしまうという低賃金問題が明らかになったことは、貧困の自己責任論を見直す大きなきっかけとなりました。なお、失業という社会現象が明確に概念化され始めたのもこの時期でした。こうして貧困や失業が社会問題と捉えられるようになり、20世紀初期の自由党政権では、リベラル・リフォームと呼ばれる一連の社会改良政策が実行されていきました。社会福祉をめぐって、国家の果たす役割が大きく変化していったのです。

貧困が自己責任なのか、それとも社会問題なのかということに関しては、現在の日本においても様々な見解があります。そして生活保護の不正受給やいわゆる貧困ビジネスの存在は、この問題をますます複雑なものにしています。しかし、本稿で示した社会福祉形成史における「救済」と「自助」の一端は、こうした現代社会の難問に挑む上で少なからず示唆を与えてくれるはずです。目の前で起きていることのみを判断基準とするのではなく、連綿と続いてきた人間の営為、すなわち歴史を紐解くことによって、私たちはより多面的な視角から現代社会を見通すことができるのです。