南山の先生

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その他・外国語教育センター

虞 萍

職名 講師
専攻分野 国際コミュニケーション学、中国近現代文学
主要著書・論文 『冰心研究――女性・死・結婚』(単著、汲古書院、2010年)、「『後衛思想』の先駆者――謝冰心、巴金の心友であった中島健蔵への考察」(単著、『愛知大学国際問題研究所紀要』第150号、2017年)、『ペアで学ぼう!中国語(中国語検定準4級対応テキスト)』(単著、朝日出版社、2018年)。
将来的研究分野 近現代における日中文学者の交流および謝冰心とその周辺の作家についての研究
担当の授業科目 中国語I~中国語VIII

近現代における日中知識人の交流

中国で「文学の祖母」と呼ばれる冰心(1900-1999、日本では「謝冰心」と呼ばれるため、以下「謝冰心」と記載)は一生を人類、国家、民族、教育などの大問題に捧げた人物です。彼女の作品には小説、詩、エッセイ、評論、雑文、自伝などがあり、各ジャンルにおいて代表作があります。謝冰心の「問題小説」は当時の女性、青年、さらに戦争について問題を提起し、人々の普遍的な共感を呼びました。彼女は一生を通して8回来日し、多くの日本の知識人と交流しました。また、日本の知識人が中国を訪問した際、謝冰心はしばしば世話人を務めました。しかし、現在、謝冰心と日本の知識人との交流の経緯や背景などはそれほど研究されていません。

謝冰心には二つの座右の銘がありました。一つは、諸葛亮の『誡子篇』からの名言で、「非淡泊無以明志、非寧静無以致遠」。意味は、功、名誉、利益、俸禄はそんなに重視しなくてもよい、淡泊で心がやすらかであってこそ人生の精神的な価値を実現できる、ということです。もう一つは、「知足知不足、有為有弗為」。これは彼女の祖父の座右の銘で、その意味は、衣食住は簡素でも満足しなければならない、知識、学問については、満足してはならない、世間の人に有利なことを勇敢にしなければならないが、道義に反することはしてはならない、ということです。謝冰心にとっては、「文化交流こそ自由平和への道」でした。井上靖は1940年代における謝冰心のこの提案を擁護し、解釈するかのように、中華人民共和国建国三十五周年の1984年に、「文化交流」の真意を次のように説明しました。「『文化交流』が美術、音楽、演劇、文学、学術、スポーツ、出版などの分野を包括するが、しかし、どの分野に於いても、その根底に坐るものは、結局のところは人と人との交流、人の心と人の心との交流であろう。お互いの間に理解と愛が生まれて、初めてその上に、両国の文化の交流という大事業は築かれて行くのである。」井上靖と謝冰心の間の距離はどのようにして縮まったのか。言い換えれば、彼らはお互いにどのような努力と交流を経て、赤の他人から国籍を超えた親友関係に結び付いたのか。二人はどのような接点があったのか。さらには、彼らにとって真の「文化交流」とは何か。私はこれらを解明することを研究目的にしています。

謝冰心は野上弥生子、有吉佐和子と瀬戸内晴美(瀬戸内寂聴)などの日本の女性作家とも交流しました。野上は「文学と政治を引き離すことが不可能である。青年の教育においては、日本作家は中国作家に見習うべき」と勧めていて、心底から中国作家を敬愛していると言えるでしょう。また、有吉は謝冰心と共に戦争に反対し、日本の原水爆禁止の活動および被爆者への支援に積極的に取り組みました。これらの信念を共有していたからこそ、謝冰心と有吉は国境を越えた友情を育み、日中国交回復に貢献することができたのです。さらに、瀬戸内は謝冰心を「中国の野上弥生子」と称したことがあります。謝冰心の文学は、瀬戸内の中国に対する憧れの大きな部分を占めていました。一方、野上は戦後日本の女性作家の先駆者であり、敗戦までの日本の知識人のさまざまな生き方や葛藤などを重層的に描いています。瀬戸内は謝冰心と野上を共に尊敬していたのでしょう。謝冰心は、「日中の戦闘友情は永久的で、海を隔てるが、日本の女性作家に敬意を表したい」と述べています。私は今後、日本の女性作家の作品を通して、謝冰心との交流の根底を探ってみたいと考えています。

みなさんも、中国語の勉強を通して中国の文化・習慣などについての理解を深め、日中文化交流をしましょう。