南山の先生

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その他・教職センター

大塚 弥生

職名 准教授
専攻分野 臨床心理学、カウンセリング
主要著書・論文 「対話の中での聞き手の留意点」(共著、「人間関係トレーニング」ナカニシヤ出版、1992)
将来的研究分野 自己成長、教育におけるカウンセリングの視点
担当の授業科目 「学校カウンセリング」「性と生命における人間の尊厳」「教職実践演習」「心理学」他

あなたに見えている世界

(Rubin, E. 1921)

右の図は、「ルビンの杯」と呼ばれる錯視図形です。白い領域が図となって杯に見えたり、黒い領域が図になって向かい合った横顔が見えたりして、二つの図を同時に見ることはできません。このように、図と地の関係が交替するものを「図地反転図形」といいます。このほかにも、形や線の長さが実際の大きさとは違って見えたり、物理的には同じものが違って見えたり、無いものが存在するように見えたりするなど、錯視図形にはさまざまなものがあり、不思議で楽しい世界です。なぜこのような錯覚が起こるのでしょうか。それは我々人間が、自分の周りにあるものに意味を見出し、一つのまとまりを持った世界を作ろうとするからです。過去の経験を駆使し、限られた情報を組み合わせてすばやく状況を判断し、有効な対処を取って生き残ろうとする、人間の能力が産み出した世界であると言えるでしょう。

ただしこのことは、同じものを見ていても一人ひとり捉え方が違う、ということでもあります。錯視図形は楽しいものですが、日常生活の中での錯覚は誤解につながり、人間関係に困った問題を引き起こしかねません。分かり合っているつもりがそうではなかった、ということや、いくら説明してもわかってもらえない、というようなことはたくさん起こっています。それはお互いに、相手が見ている「図」が見えていないということから起こっているのかもしれません。

たとえば皆さんは、後になって過去を振り返った時「あの時はあんなふうにしか考えられなかったけれど、今になって思えば、こんな意味があったんだなぁ」などというように、過去の出来事をそのときとは異なる見方でとらえることがあるでしょう。それはまるで「図地反転図形」のように、過去には「地」となっていて見えなかったものが、今は「図」となって浮かび上がって見えているようです。あるいは「あの人にとっては、きっとこんな感じだったのだろうなぁ」というように、そのときの相手が見ていた「図」が見えてくることがあるでしょう。相手の立場に立つ、という言葉がありますが、これは相手が見ている「図」が見えると言い換えることができるかもしれません。来談者中心療法の創始者であるカール・ロジャーズは、これを「共感的理解」と言いました。自分があたかも相手であるかのように相手の住む世界を感じ、理解することを言います。こう考えてくると、人間の成長や発達は、たった一つの「図」に固執することなく、さまざまな「図」を見て取れること、図と地を柔軟に反転できることにあると言えそうです。

私たちは一人ひとり異なった過去経験を持ち、まるで異なった屈折率を持つプリズムを通して世界を見るように、一人ひとりが異なる「図」を見ています。大学で学ぶということは、今、あなたの世界では「地」となって見えていない物事を、「図」として浮かび上がらせる力をつけていくことかもしれませんね。