南山大学

 

メイルマガジン EPISTOLA

No.7

「実りの秋を感じさせる水曜日」

2017年10月18日

南山大学では、日々キャンパスのどこかで様々なイベントが催されています。
今月初めの水曜日に、研究室棟の掲示板に紹介されている沢山の企画の中から、「オルガン・メディテーション」と「『母なるもの』のまなざし―遠藤周作の作品を味わうための講座―」という2つの企画が目にとまり、参加してみることにしました。

オルガン・メディテーションは、一年をとおして、大学キャンパスのほぼ真ん中にあるロゴスセンターの地下チャペルで開かれています。人文学部キリスト教学科と在名古屋教皇庁認可神学部、そしてロゴスセンター(南山大学キリスト教センター)の共催です。当日はキリスト教学科のヤコブ・ライチャーニ先生が演奏されました。プログラムには、イタリア・バロック時代のDomenico SCARLATTIとDomenico ZIPOLIの曲がリストアップされていました。午後1時過ぎに演奏が始まり、その頃には、私を含めて学生と教職員11名ほどが静かに着席していました。小さなチャペルの中に響く美しいオルガンの音にいざなわれ、20分ほどの間、メディテーション・タイムが深まっていくのを感じることができました。

その後センターを後にして、もう一つのイベント、南山大学図書館カトリック文庫協議会が主催するカトリック文庫講座の会場へ移動しました。イベントが開かれたR棟の教室には、学内外から多くの方々が集まっていました。講師を務められた金承哲先生は南山宗教文化研究所の所長であり、本学大学院の人間文化研究科でも教鞭をとっておられます。特にこの数年、研究所などで「遠藤周作を読む会」を主催してこられ、この日のお話は日頃の研鑽の一部を披露してくださった大変興味深い内容でした。個人的には、「棄てられたものへの優しい眼差し」というフレーズで説明してくださった、人と人、また人と神との関係理解が心に残りました。そして、遠藤の『沈黙』にある有名なフレーズ「罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。」(遠藤周作 著『沈黙』新潮社,p.135,2003)を思い起こさせてもらいました。

10月に入って、そよ風がキャンパスに秋らしさを運んでいるのを感じた、水曜午後の学内イベント訪問でした。

南山大学長 鳥巣 義文

発行人:南山大学長

発行:南山大学学長室 (nanzan-mm-admin@ic.nanzan-u.ac.jp