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マラウイは、アフリカ大陸の東南部に位置する共和国。公用語は英語とチェワ語で、人口は約1500万人(在マラウイ日本人は約200人)、国土は北海道と九州を合わせたくらいの大きさです。労働人口の約80%が農業あるいは農業関連事業に従事する伝統的な農業国で、タバコ、紅茶、砂糖などの農産物が全輸出の8割を占めています。マラウイ人は、アフリカ人の中でも控えめで、少し日本人に似ているところがありますね。また、国土の1/5を占める「マラウイ湖」をはじめ、自然豊かな景観もとても魅力的です。
※マラウイの国情報については外務省HPを参照しました
政務、つまり政策等に関する情報収集とフォローアップ、広報文化活動を中心とした業務を担当しています。まず政務については、毎朝、現地の新聞に目を通して日本に関係する出来事をチェックするのはもちろん、マラウイの政治家や政府関係者、あるいは各国の国際機関の方々とも積極的にお会いして情報を交換し、それらを日本の外務省へ送っています。一方、広報文化活動では、マラウイに日本の文化を根付かせていくことを目的に、さまざまなイベントを企画・運営しています。たとえば今年は、日本からの青年海外協力隊がマラウイに入って40周年を迎えるにあたり大統領官邸で祝典を開きましたし、つい先日は、国際交流基金と日本大使館の共同主催で和太鼓の公演も開催しました。マラウイの新聞社やテレビ局に働きかけた甲斐もあり、多くの人々に楽しんでいただけたんですよ。

マラウイでは新聞報道で大統領が2009年に2期目の当選を果たしてから独裁政治の傾向にあるとし、欧米諸国の援助が次々に中止されている状態にあります。国家予算の約4割を援助に頼っているマラウイにとって、これは大打撃。外貨不足が深刻化すると同時に、内陸国のため生活用品のほとんどを輸入していることも手伝って、スーパーで売っている商品は日本と同じくらい高くなっています。ほとんどが貧困層である国民に買えるわけがありません。おまけに相次ぐ停電にガソリン不足…。こうした状況が影響してか、2011年夏ついにデモが起きてしまいました。日本の外務省と密に連絡を取りながら、刻一刻と変化する現地情勢を伝え、マラウイを訪れる日本人、あるいはマラウイで暮らす日本人に有益な情報を提供し、国民の安全を守る業務には、大きな使命を感じますね。

日本は累積派遣数世界最大の青年海外協力隊を送るなどしてきましたが、最近ではODA※全体の額が徐々に減る傾向にあり、その間、中国が援助の規模を拡大し、存在感を増しています。そうした状況下で、日本の存在価値をマラウイにいかに浸透させ、良好な関係を保っていくか、中国とは違うかたちでどう援助していくのかを考えることが必要になってきています。経済協力は私の担当ではありませんが、それを補うような政策を打ち立て、取り組んでいくことは重要ですし、それが国民の安全や国益につながっていくのだと信じています。
※ODA…開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために政府が行う資金・技術提供による協力

私は日本を代表する外交官として、日本大使館に勤務しています。仕事上でも「日本はどうか?」と問われることが多いので、常に日本、そして日本人としての自分を意識していますね。特に現在の仕事では、海外に対して日本をポジティブにアピールすることが求められるため、発言や振る舞いには気を遣っています。自分の言動一つひとつが、国家対国家の大きな舞台上で起こっていること、またそこから生まれる影響や責任の大きさを実感しつつ、日々仕事に取り組んでいます。
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南山大学に入学した頃は、得意な英語の力を伸ばしたいとしか考えていなかったんです。でも、「コミュニケーション学」や「社会学」の授業で文化的背景の違う相手とどのように意思疎通を図っていくかを考えたり、その他様々な授業を受ける中で、次第に国際理解の重要性を感じるようになりました。同時に、南山大学で学ぶたくさんの留学生と互いの国や世界の動きについて日常的に意見を交わした経験も大きかったです。さまざまな問題や出来事をグローバルな視点から捉えられるようになり、次第に「英語を学ぶ」のではなく「英語をツールに国際社会に貢献する」ことに目標がシフトしていきました。

国際社会に対して自分は何ができるのか。それ以前に何を知っているのかを考えた時、大学での授業や高校時代のイギリス留学を通して欧米の文化は学んだけれど、自分の暮らすアジアについて何も知らないことに気づいたんです。過去の歴史から、中国の日本に対する反日感情は大きいと聞きます。しかし祖父母からは、戦争時に中国の人に優しくしてもらったと聞いています。一部だけを切り取ったメディアの情報ではなく、本当はどうなのかを自分の目で確かめたくて、1年間香港に留学しました。留学中は多くの中国人と交流したほか、南京大虐殺の博物館なども見学しました。展示写真を見て感じたのは、同じ人間同士が命を奪い合う悲しさと虚しさ。この経験から、国際貢献につながる専門性を身につけようと、大学院への進学を決意しました。
はい。国際協力を専攻し、貧困に苦しむ人々を救済するための政策を考える社会開発や、移民政策などに関する知識を深めましたね。大学院修了後は、留学カウンセラーとして一般企業に勤務しました。夢を抱いた若者たちのお手伝いをする仕事はとてもやりがいがありましたが、日々時間に追われる中で、自分がめざしているのはもっと直接的に国際協力につながる仕事だったはず、という原点に立ち戻り、外務専門職試験に挑戦することにしました。「日本国」という機関で、世界の仕組みや動きを変えていく業務に直接関わっていこう。そう決意したのです。

会社を退職し、1年間予備校に通いました。その間は収入を得るため、大学の嘱託職員としても勤務していたので、仕事と勉強を両立するのが大変でした。しかし、外交という大きな仕事への夢があったから、諦めようとは決して思いませんでした。さまざまな国と友好関係を築き、深めることが、日本、そして日本人の安全保障につながる。その一員になることだけを考えてひたすら勉強に励み、無事1回目のチャレンジで合格することができました。
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ひと言で言えば、まじめで貪欲な学生でしたね。自分の興味や将来を探るためにさまざまな授業を受けたし、体育会系に近いといわれるクラブ・管弦楽団の練習にも力を注ぎました。ほかにも様々な講演に自主的に参加したり、ハーバード大学の学生が主催する「海外学生会議」などにも積極的に参加しましたね。そうそう、私は寮で暮らしていたのですが、フィリピン人の寮母さんの計らいで、現地のボランティア活動に参加したこともありました。

その通りです。おかげで国際協力という目標が見つかったし、個性豊かな学生や留学生との交流を通して、南山大学の「人間の尊厳のために」という教え通り、一人ひとりが互いを尊敬・尊重しながら付き合っていく精神が身につきました。それは宗教関連の授業からも学んだように思います。この精神は海外に勤務する外交官としても、国際社会を生きる一人の人間としても、自分自身を支える太い柱となっています。
英語に関する専門的な授業と留学での生活、さらに国際協力への興味の相乗効果で、4年次には英検1級に合格、TOEICのスコアも955点をマークすることができました。しかしスコアや資格以上に、海外の方々に対して、臆せずに自信を持ってコミュニケーションできるようになったことが大きな成果だと感じます。

本当にそう思います。「可能性に蓋をするな」というのは私の座右の銘ですが、これは大学時代に外国人の友人から贈られた言葉です。自分に自信が持てず、進むべき方向を摸索していた時、「自分のことをもっと肯定したらどうか。限界を設けてしまってはもったいない」と言われました。日本人は謙虚で、「自分なんて」と思ってしまいがちですよね。でも、その心の壁を取っ払ったら、ものすごい可能性があることに気づいたんです。今の職場においても、常に「もっとできるんじゃないか?」という挑戦心を持って仕事に臨んでいます。

南山大学には、本当にさまざまなところにチャンスが転がっています。地道な努力が実を結ぶこともあるので、特に受験生の皆さんは、今は何のために勉強しているのかわからなくてもとにかく努力して知識を吸収してください。それから、南山大学にはさまざまな奨学金制度があり、私も利用していました。勉強面も経済面も、学生が望めば必ず手を貸してくれる。それが南山大学です。充実した制度を上手に利用して、自分の可能性を存分に広げてください。
(2012年4月)
2012年4月現在

| あさの ゆうき | ||||
| 浅野 有紀 | ||||
| 外務省 在マラウイ日本国大使館三等書記官(外交官) | ||||
| 2003年3月 | 外国語学部 英米科 | |||
| 2003年3月 | 南山大学外国語学部英米学科 卒業 |
| 2003年4月 | 名古屋大学大学院国際開発研究科に入学。国際協力を専攻 |
| 2005年3月 | 名古屋大学大学院国際開発研究科修了 |
| 2005年4月 | 留学カウンセラーとして一般企業に就職 |
| 2006年6月 | 企業を退職し、外務専門職試験に向け予備校に通い、勉学に励む。 |
| 2007年 夏 | 外務専門職試験合格 |
| 2008年4月 | 外務省入省。1年目に国際法局条約課にて実務研修、その後イギリス・オックスフォードで2年間の研修を実施 |
| 2011年7月より、在マラウイ日本国大使館で三等書記官として活躍中 | |