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高校時代に出会った外国人から「この日本語と、この日本語はどう違うの?」と質問され、日常会話で日本語を使っているにも関わらず、まったく答えることができずもどかしい思いをしました。その出来事をきっかけに“日本語を学ぶ”ことに興味をもち、さらに日本語教師として日本語を教えてみたいと思うようになったのです。
南山大学の大学院で日本語教育を専攻する学生の多くが、日本語教師との二足のわらじを履いています。私のように先生からの紹介で大学4年生から始める人もいれば、もともとフルタイムでやっていた日本語教師を辞め、大学院と日本語教師を両立させる人などケースはいろいろ。日本語教師をめざす志の高い人たちと共に高めあいながら、より高度な教育を受けることができるメリットは大きいですね。さらに、日本語教師の仕事を通じて、さまざまな疑問や困難にぶつかります。その一つひとつを大学院の先生方に相談し、意見やアドバイスをいただくことができるので両立による相乗効果も大いにあります。

私たち日本人は子どもの頃から日本語環境の中にいるため、日本語は自然と身についていったもの。そのため、日本語を人に教えることはまったく意識したことがありません。しかし、日本語を教える対象となるのは、違う言葉を母国語としていて、学問として日本語を学ぼうとしている外国人です。彼らの素朴で、ときには鋭い質問に答えられず、かなりの知識や技術がいることを思い知らされたことも。以前、「“勉強しながら〜”と“勉強しつつ〜”にはどんな違いがあり、日本人はどう使い分けているの?」という質問を受け、日本語を学ぶ外国人は、日本人であればさほど気にしないニュアンスの違いにも明確な理由を求めているのだと実感しました。
外国人の学生から鋭い質問を受けたときは、まずは自分で調べ、それでも解決できなければ大学院の先生方にアドバイスをいただくようにしています。最初はどんな質問をされるか不安ばかり感じていましたが、現在は、思いもよらない疑問を投げかけられても「新たな知識を増やすチャンスだ」と前向きに捉えられるようになりました。

日本で多国籍からなる日本語学習者に教えるには「直接法」という方法で、日本語だけを用いて日本語を教えることが一般的です。しかし、日本以外の国で教える場合、その国で生まれ育った学生ばかりなので状況が異なります。特に初級レベルの学生は、自分たちの母国語を使って疑問を訴えてきますので、もし日本語教師がその言語を理解していなければ、その疑問を受け止めることすらできないのです。このため、海外で日本語教師の仕事をする時には、その国の言語を知っていた方が、スムーズに教えることができます。
学部時代は、「学業」と「クラブ活動」を両立させた充実した4年間で、日本文化・日本文学・日本語学・日本語教育などを幅広く学びながら、アメリカンフットボール部の活動にも全力で取り組みました。大学院では、「人間はどのようなメカニズムで言語を習得していくのか?」といったより掘り下げたテーマを学び、第二言語をより円滑に習得するための糸口を探っています。
日本語教師になるには、「大学での主又は副専攻で日本語教師課程を修了した人」「日本語教育能力検定試験に合格した人」「日本語教育養成講座420時間を修了した人」という3つの資格のいずれかを取得する必要があります。このため、南山大学の人文学部日本文化学科の過程を修了すれば、それ以外の資格を取得しなくても日本語教師をめざすことができるのです。
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人間文化研究科言語科学専攻(大学院)の教授にご紹介いただき、大学院を休学して2008年9月から2年間、TA(teaching assistant)として留学に参加。選考は至ってシンプルで、推薦書と書類審査のみ。日本語教育のTAということもあり、「英語に対する学習意欲」ではなく「日本語教育に対する学習意欲」が問われました。南山大学は学部を問わず海外大学への留学機会が大きく開かれているので、確かな動機さえあれば留学するチャンスは十分にあると思います。
※TA(teaching assistant)
TA (Teaching Assistant)とは、大学などにおいて、担当教員の指示のもと、学生が授業の補助や運用支援を行うこと、あるいはそれを行っている学生のこと。レポートの採点を行なったり、演習などの際に個別の質問に応じたりするのが主な業務。
アメリカのバーモント州にあるミドルベリー大学では、45の幅広い学習分野で科目を提供し、1クラスの平均は16名以下という徹底した少人数教育を実施。さらに、70カ国以上から来た人々がキャンパスで共に学んでいるという国際色豊かな大学です。留学中は、日本語教育のTAとして日本語を教えたり、大学の授業を受けたりする中で、文化・言語・国籍などの異なるさまざまな留学生や現地学生たちと出会い、共に学び、刺激に満ちあふれた日々を送ることができました。

日本語教育のTAとして授業を担当していたのは、1・3年生の日本語クラス。3年生は最低限の会話ができるレベルですが、1年生はほとんど日本語の知識がなく、読めない、書けない、話せないという段階から教えていきました。日本語の授業は週に5コマあり、そのうち2コマ「文法講義」をネイティブの先生が担当。残りの3コマ「ドリル(口頭練習)」を3人の教師(TAとTAでない先生)で担当し、そのうち1コマ(50分×3セッション)を私が受け持ちました。1クラス約10人程度の少人数授業だったのですが、日本語を教える環境が日本国内とはまったく異なり、すべてが新鮮で良い経験になりました。また、学生一人ひとりが授業に熱心かつ協力的で、まだまだ心もとない私をあたたかく見守ってくれたのは心強かったですね。
もっとも違いを実感したのが、授業スタイルの違い。日本で教えていたときは、日本の大学へ入学するために勉強している中国系の学生が多く、入試対策の筆記に力を入れていました。しかし、アメリカでは“日本語を楽しみながら学びたい”という傾向が強く、50分間ひたすら話すことを重視するスタイルでした。私にとっては、それまで経験したことのない初めてのスタイル。ミドルベリー大学の先生方は、TAの好きなように学習指導案を作らせてくださったので、どうすればもっと楽しい授業になるのかを一生懸命に考えました。ゲーム方式にしたり、面白いビジュアルを用意したりと、夢中になって工夫を凝らすことによって大きなやりがいを実感することができました。
日本の歴史や文化がアメリカではどう教えられているのかに興味があったので、日本の社会問題やジェンダーに関する授業などを履修。主にディスカッション形式の授業なので、アメリカの学生が日本についてどのように考えているのかを知ることもでき、とても参考になりました。

ミドルベリー大学には、各言語を楽しみながら身につけることを目的に、日本語をはじめイタリア語やドイツ語、フランス語など、英語以外の言語を使って食事と会話を楽しめる「ランゲージテーブル」というスペースがあります。私もそこで日本語のTAとして協力し、学生たちの日本語の練習相手になることで多くの学生たちと交流していました。このシステムは、南山大学にある「World Plaza」にもよく似ていますね。
※World Plaza
World Plazaは「学内留学」の場として利用できる、日本語禁止の外国語スペース。チェックインもテレビもビデオもすべて日本語は禁止です。World Plazaでは、英語をはじめ中国語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、韓国語などを話すWorld Plaza Assistant (WPA)の学生TAたちとの会話を楽しむことができます。
ジャパニーズハウスという一軒家があり、そこで日本語を勉強している現地学生と衣食住を共にしていました。そこのルールは、日本語以外は厳禁!というもの。現地学生が徹底的に日本語に浸れるように、日常会話やテレビの音声はもちろん、トイレが詰まってもネズミが出ても、何が起きても日本語だけを使っていました。私の周りではいつも日本語が飛び交っていたので、海外にいても日本にいるような感覚でしたね(笑)また、24時間、寝ているとき以外はずっと学生たちといたので、学生が悩んでいる姿や日本語の勉強を頑張る姿を間近で見ることができた貴重な経験に。一緒に住んでいた5人の学生とは今も良い友人関係を保っていて、彼らが日本に来たときは名古屋の街を案内してあげました。

春・夏・冬に長期休暇があるので、各国から来たTAのメンバー(ロシア人、イタリア人、ブラジル人、フランス人、中国人、ドイツ人など)と一緒にあちらこちらへ旅行しました。もっとも思い出深いところは、プエルトリコ。一週間まるまるアパートを借り、そこで共同生活をしながら観光や海水浴をのんびりと満喫する…。いま思い出すだけでも、つい笑顔がこぼれてしまうような素敵な旅行でした。
日本語教育のTAとして働くことで、毎月、ミドルベリー大学からアルバイト程度の収入をいただいていました。南山大学に支払う休学費用以外の航空費、家賃、食事代、保険代などはすべて負担していただけたので、いつの間にか旅費は貯まっていきますし、プライベートでも不自由することはなかったですね。

学生たちが日本語劇をつくり、上演する「スキット」というイベントが印象に残っています。最初は日本語を読むことも、書くことも、話すこともできなかった学生たちが、完成度の高い日本語劇を披露してくれたときの感動は忘れられません。また、中には「TAとしての私」を劇にしてくれたグループも。髪型や服装にはじまり、仕草や口癖まで細かいモノマネを入れてくれていて、「私のことをこんなに見ていてくれたんだ」と嬉しさがこみ上げました。
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広い世界へ飛び出し、自分が知らないことを目の当たりにしたことで、外国語はもちろん、外国の歴史、文化、人々のことをもっと知りたい、もっと勉強したいと思うようになりました。このため、大学院の講義はもちろん、学部の講義も積極的に履修するように心がけています。

日本語教師としていつも心に留めているのは、楽しく授業を受けてもらうということ。一生懸命に勉強をしている感覚ではなく、楽しんでいたら自然に日本語能力が伸びているような授業スタイルをめざしたいと思っています。
愛知国際学院で日本語教師をするときも、ミドルベリー大学での経験を通じて得たノウハウを実践しています。たとえば声のトーンを変えたり、写真や絵を使って説明したりすることで、学生一人ひとりが楽しみながらも集中して授業を受けられるよう意識するようになりました。
日本語教師にはコミュニケーション能力が必要不可欠です。在学中は日本人だけでなく、さまざまな国の人に出会い、その国の文化にふれてみてください。そして、その中で見つけた疑問を南山大学という環境を活用しながら学問として追究し、どんどん知識や技術を吸収していってほしいですね。また、南山大学には、日本語教師やミドルベリー大学への留学を推薦してくださった坂本正先生など、日本語教育のエキスパートが揃っています。さらに、アメリカが中心であった交流協定校もいまではヨーロッパ、アジアなどの地域に広がり、留学生の出身国が約20カ国にも及ぶグローバルキャンパスへ。外国人留学生と交流する機会が豊富にありますので、日本語教師をめざすうえで最適の環境が整っていると思います。

ひとりの人間としても、日本語教師としても自信のなかった私ですが、南山大学でのさまざまな経験を通じて少しずつ自分に自信がついてきたように思います。そんな私がみなさんに伝えたいのは、「諦めなければ絶対に日本語教師になれる!」ということ。たとえいまの自分にはできないと思っても、南山大学で学び育んだ先には、かならず日本語教師への道がひらけているはずです。
(2011年10月)
2011年10月現在

| おしうみ ふみ | ||||
| 鴛海 芙美 | ||||
| 人間文化研究科 言語科学専攻 2年 | ||||
| 愛知国際学院 非常勤講師 | ||||
| 2008年3月 | 人文学部 日本文化学科 | |||
| 2004年3月 | 岡山県立 岡山朝日高校卒業 |
|---|---|
| 2004年4月 | 南山大学人文学部日本文化学科入学。学業と並行して、アメリカンフットボール部のアナライジングスタッフとして活動する。 |
| 2007年9月 | 人文学部・坂本正教授の紹介により、愛知国際学院で日本語講師を始める。 |
| 2008年3月 | 南山大学人文学部日本文化学科卒業。 |
| 2008年4月 | 南山大学人間文化研究科言語科学専攻入学。 |
| 2008年9月 | 大学院を休学し、ミドルベリー大学(アメリカ)に2年間留学。日本語のTA(teaching assistant)として就任する。 |
| 2010年9月 | 大学院に復学。 |