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フリーランスの翻訳・通訳士として、領事館、翻訳エージェント、さらにクライアントから直接依頼されるさまざまな分野の翻訳・通訳業務に対応しています。具体的には、領事館の各種認証翻訳、空港の税関で拘留された日本人の事情聴取や、日系企業で働くドイツ人の訴訟などに関わる法廷通訳、多様な分野における企業の商談通訳、医療や地域社会活動での通訳などですね。
翻訳・通訳というと、言葉を正しく訳す仕事だと思われるかもしれませんが、実はそれだけではありません。たとえば通訳の場合、対象者が選ぶ単語や言葉遣いで、社会的背景や教育レベル、あるいは相手に対する感情がある程度わかります。それをそのまま訳すのかどうか。その判断は場面ごとで異なります。また翻訳では、同じ文章でも全く違うメッセージが込められている場合がありますし、その文章を誰が読むかによって使う単語や言い回しを変えなくてはなりません。ですから仕事では、常に言葉の背後にある意味を組みとり、相手が本当に伝えたいことは何なのかを考え、その場で最も相応しい一語を選択することを心掛けていますね。

日系企業で働くドイツ人労働者が、会社を相手に訴訟を起こした時のことです。労働者側は高額な賠償金を要求し、対する企業側は支払わないの一点張り。互いの言い分を通訳しながら、労働者側には「何ももらえないよりは、少し金額を下げてはどうですか?」と、企業側には「多少の金額を支払って気持ちよく解決しませんか?」と、妥協案を示してみました。すると双方に私の提案が受け入れられ、円満に解決することができたのです。両者に笑顔でお礼を言われた時、ホッとすると同時に相互理解に寄与できた充実感に包まれました。
法廷通訳でも商談通訳でも、通訳業務では問題の本質を理解し、互いにとってプラスとなる解決策を見出す能力が求められます。そしてその問題は、文化や考え方の違いから起こる場合も多いのです。言葉だけでなく、互いの文化や価値観を伝えながら、日本とドイツの相互理解に貢献することが通訳士である私の使命であり、喜びだと感じます。翻訳業務では、私の作成した文章がさまざまな場で利用され、クライアントや読者の方からお礼のお手紙をいただくこともあります。その時ほど嬉しさがこみあげることはありません。また、様々な方とお話をしながら自分の見識を深めていけるのも、この仕事ならではの醍醐味だと思いますね。

とにかく世界や社会のあらゆることに興味を持ち、アンテナを張っています。ドイツと日本、それぞれの新聞を毎日しっかり読むほか、車での移動時間にはラジオのニュースを聞きながらシャドーイング(※)の練習もしていますよ。あとは、レストランに入ったらメニューを見てその土地の伝統料理や旬の食材を理解したり(笑)。新しい知識が身につくたびに、仕事の引き出しも一つずつ増えていく。ここで終わり、ということがないから、常に新鮮な気持ちで仕事に向き合えるのかもしれません。
※シャドーイング:対象者の話した内容を、1〜2秒遅れてそのまま繰り返す、通訳訓練法のひとつ。
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はい。大学在学中から“卒業後は留学してさらにドイツ語を磨き、通訳士になるんだ”と心に決めていて、卒業式の翌日にトランク1つでドイツに旅立ちました。留学したのはザールブリュッケン大学・翻訳通訳学科。残念ながらドイツ語−日本語のコースはなく、ここではドイツ語、イタリア語、スペイン語、英語を学びました。1年余り学んだ後、さらに高度な翻訳・通訳スキルを身につけるため、マインツ大学・応用言語文化科に転学し、2005年の春、念願のドイツ国家公認法廷翻訳士・通訳士の国家試験に合格できたのです。

国家試験に合格すると、裁判所や大使館、領事館などに情報が伝達されますし、翻訳・通訳エージェントにも登録できますので、仕事はすぐに始められました。私はドイツの社会も学びたかったので、フリーランサーとしての仕事に加え、日系自動車企業で社内翻訳・通訳の仕事もスタート。3年後には電機メーカーに転職し、マーケティングの仕事も経験しました。
ドイツ人と日本人は、とても真面目であり、世界大戦では同じような立場や問題を乗り越えているので、考え方や国民性に共通点が多いんです。でも、もちろん違う部分だってある。現地の職場で学んだのは、がむしゃらに働くことが必ずしも良いことではないということ。当時のドイツ人の上司は、「素晴らしいアイデアや企画は、いろいろな場所や人との出会いから生まれる」と言うのが口癖で、仕事と同じくらい余暇を大切にしていました。この社交性や余暇を楽しむゆとりは、日本人が見習うべきことのひとつかもしれません。日本を外側から見ることで、世界に誇れる点、改善すべき点を客観的に感じられるようになったのは大きな収穫だと思いますね。
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私の2歳上のいとこが南山大学に入学し、とても楽しそうにしている姿を見て憧れました。「自分ならどの学科が合うだろう?」と考え、ネバーエンディングストーリーやモモなど、ミヒャエル・エンデの作品が好きだから、という単純な理由で文学部 独語学独文学科(※)への入学を決めたのです。もちろんドイツ語の知識など全くありませんでした。いざ入学してみると、授業の大変さは想像以上。自分では発音も文法も頑張っているつもりなのに、ドイツ人の先生には直されてばかり。教室を見渡すと、流ちょうにドイツ語を話す帰国子女の同級生が目に付いて。そこで頑張ればいいものを、劣等感に苛まれていじけてしまって、3年生になる頃には、ドロップアウトしそうになってしまったんです。
※文学部 独語学独文学科…現:外国語学部 ドイツ学科

思い余って、英米科への転部試験を受けましたがダメで…。悲しい気持ちで英米科の先生と話しました。すると、「あなたは英語が人並み以上にはできるのだから、英語もドイツ語もできる人になったらどうですか?頑張れば、きっといいことがありますよ」と優しく諭してくださって。そこから考え方が180度変わりましたね。早速、自分でドイツ留学の計画を立て、バイトをして費用も貯め、大学4年目の3月から1年間、バイエルン州のビュルツブルグ大学に留学しました。現地ではスポンジが水を吸うような勢いでドイツ語を学ぶと同時に、多くのドイツ人が「今でも日本では着物を着て刀を持った人が歩いている」と思っていることに心から驚きました。その経験から、通訳になって正しい日本の姿を伝えたいという目標が見つかり、晴れ晴れとした気持ちで日本に帰国したのを覚えています。
ドイツ留学での体験をもとに、「ドイツの社会保障制度」をテーマにドイツ語で卒業論文を制作する傍ら、学科で運営するドイツ語劇に参加して後輩たちの手伝いをしたり、キャンパスで学ぶ留学生とも積極的に交流しました。また卒業後は留学して通訳のスキルを磨こうと決めていたので、先生方に各大学の情報を教えていただいたり、紹介状を書いていただいたりもしましたね。
私が南山大学で学んだのは、「ピンチはチャンスに転じる」ということです。ドイツ語の壁に直面し、挫折しそうになった私の意識を変え、語劇や卒論、そして卒業後の留学についてもたくさんの先生が惜しみなく力を貸してくれました。そのいかなる場面でも、「ああしろ、こうしろ」と言うのではなく、ただ優しく諭し、自ら考える機会を与えてくれたおかげで、「事が成功するか否かは自分の中に潜む力と勇気を起動できるかどうかにかかっている」ことに気づくことができました。大学は私のホームグラウンド、先生方は親のような存在です。“Not macht erfinderisch”(窮すれば通ず)。今でも私はこの言葉を座右の銘として、日々チャレンジ精神を持って生活しています。

現在、第2子出産を機に企業の仕事は育児休暇中で、フリーランスの仕事に絞って活動しています。ですから今後は2人の子どもを育てる母として、企業や法廷だけでなく、たとえば日本とドイツ、それぞれの文化や生活を紹介するような絵本を、ドイツ語と日本語で作成するような仕事もしていきたい。より生活に密着したテーマでドイツと日本の架け橋になれたらと思っています。

大学で過ごす時間は、その先の将来を豊かにするための人生の充電期間です。この時期を南山大学で過ごすことは、とても大きな意味があると思います。ぜひキャンパス全体にアンテナを張り巡らせ、“大学を利用してやろう!”くらい貪欲に、大学の制度やサービスを活用してください。またドイツ語に興味のある人、翻訳・通訳士をめざす人、ぜひ臆せずチャレンジしてください。ドイツと日本は150年も前から交流があります。両国の姉妹都市は50以上に上ります。恐らく皆さんが想像している以上に日本とドイツは親しい関係にあり、翻訳通訳の需要も豊富です。まずは語学力を磨き、世界や社会に広く関心を持つことから始めましょう。
(2011年8月)
2011年8月現在

| しゅたいん あきこ | ||||
| シュタイン 亜希子 | ||||
| ドイツ国家公認法廷翻訳士・通訳士 | ||||
| 2000年3月 | 文学部 独語学独文学科 (現:外国語学部 ドイツ学科) |
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| 大学卒業直後の2000年3月、ドイツ・ザールブリュッケン大学・翻訳通訳学科に入学。 |
| 2001年5月にはマインツ大学・応用言語文化科に転学し、さらに高いレベルの通訳翻訳スキルを磨く。 |
| 2005年春、ドイツ国家公認法廷通訳士、通訳士国家試験に合格。フリーランスの通訳・翻訳士として活動を始める。 |
| 2005年8月、三菱自動車工業(株)に入社。欧州開発部に所属し、社内技術翻訳の業務に従事。 |
| 2006年、マインツ大学との協力で、会議通訳養成のための日独通訳セミナーを開催。 |
| 2008年、ハイデルベルグ大学日本語学科で日本語―ドイツ語の通訳・翻訳コースを確立し、その後、ハイデルベルク大学へ引き継ぐ。 |
| 2008年4月、YASKAWA EUROPE GmbHに転職。マーケティング部に所属し、広報プロジェクトの企画から社内での通訳・翻訳業務まで幅広くこなす。 |
| 2009年11月〜2011年10月まで育児休暇を取得。 |
| 2011年11月より職場復帰。通訳士だけでなく執筆活動も予定している。 また、さらなる日独交流を推進するため、サンクトゴアハウゼンのギムナジウム(中等教育機関)で、日本語コースの開設に携わっている。 |