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大学進学時、未来への具体的な目標を描けなかった私が選んだのは総合政策学部。学びながら自分の興味や適性を見きわめていこうと、のんびり考えていたのです。ところが1年次の9月11日、アメリカ同時多発テロが発生しました。強い衝撃を受け、感情を整理できないまま受講した授業の中で浜名優美先生が事件に触れ、渡辺一夫の『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか。』という言葉を紹介してくださいました。1つめの出会いです。心が震え、自分も何かをしなくてはならない、と決意した瞬間でした。
世界の人がイスラム教徒に対して偏見の目を向け、平和を歌っているはずのジョン・レノンの「イマジン」がニューヨークで放送禁止になっていました。私の頭の中はたくさんの疑問だらけ。実際にこの目で世界を見なくてはとの思いに駆られ、NAPを利用してイスラム教徒が多いマレーシアへ短期留学しました。マレーシアはさまざまな文化が混在する国。そこで、多様な価値観に触れたことで、世界を知りたいという思いがさらに燃え上がったのです。
※NAP:南山短期アジア留学プログラム/2年次の長期休暇を利用して、各自が選択したアジアの国で4週間に渡って現地の言語を集中的に学ぶプログラム。現地の生活や文化にも触れながら、アジアや日本の現実について理解し、考えていく。

マレーシアから帰国後、1年間休学して、アメリカのニューオリンズへ語学留学という思い切った決断をしました。もちろん、向学心や好奇心もありましたが、私を突き動かした最大の動機は、NAPで出会った一人の女性の存在です。片想いではありましたが、彼女が1年間休学してイギリス留学すると聞いていたのです。やや衝動的な行動でしたが、しかし、この2つのめの出会いを発端とした行動が、その後の人生に大きくかかわってくることになるのです。
勢いで始めたアメリカ語学留学(6ヶ月)。その足でメキシコでの2ヶ月間の語学留学。そこで、パスポートやクレジットカードの盗難にあうという出来事がありました。途方に暮れている私を支えてくれたのは、日本大使館の方々。大使館にどんな人がいて、どんな仕事をしているのか、この時、初めて知りました。日本では考えられないようないくつもの体験を通して、考え方や視野を広げることができたと思います。
3つめの出会いは、ボスニア・ヘルツェゴビナでのこと。現地で知り合った年配の日本人男性となぜか意気投合しました。その方は外交官試験を何度も受験し、結局、夢をあきらめてしまった過去を持っているとのこと。冗談交じりに「私の夢は君に託した」と言われ、その場では笑って聞き流していたわけですが、その後日本に帰ってみると、段ボール箱が届いていました。早速箱を開けてみると、中は外務専門職試験の参考書と「よろしくたのむよ」と書かれたメッセージ。何か運命的なものを感じた私は、外交官をめざすことにしたのです。
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私が外務専門職試験の勉強を開始したのが3年次の秋。一次試験が6月中旬に行われることを考えると、かなり遅いスタートでした。予備校にも入学し、ダブルスクール体制で挑みましたが、結果は不合格。外交官への道のりが平坦でないことは覚悟していましたので、簡単にはあきらめません。就職浪人というかたちで1年間、しっかり勉強しました。その甲斐あって、2年目の挑戦は一次の筆記試験は合格しました。ところが、二次の面接で不合格。さすがにショックを受けました。それでも、大切に温めてきた夢です。あきらめようという気持ちは芽生えませんでした。
3年目の挑戦を決意するにあたって経済的自立の必要性を感じ、働きながら勉強する道を選びました。そこで、国立大学に職員として就職。勉強時間は減ってしまいましたが、過去2年の失敗を顧みながら弱点を重点的に勉強しました。自信を持って臨んだ一次試験は合格。ところが、またもや面接で落ちてしまいました。さすがに、落ち込みました。このままじゃいけない。何かを変えなくては夢が遠のいてしまう。夢を取るのか、現実の生活を取るのか。迷いましたが、中途半端はいけないと意を決し、国立大学を退職。あらためて、夢に向かって歩むことにしました。
なぜ面接で落とされてしまうのか、自分には何が足りないのか、そう自問自答した時、自分の使命感が漠然としたものであることに気付きました。世界平和のために “何か”貢献をしたいという思いなら負けない。しかし、その“何か”を問われると答えに窮してしまうのも事実。そこで、もう一度自分を見つめ直そうと考え、在ケニアNGOへインターンとして参加しました。ケニアを選んだのは、当時、アメリカでオバマ・フィーバーが巻き起こっていたから。彼のルーツである国へ行ってみたいと思ったのです。そこには、汚水と共に暮らす人々の不安と悲しみに覆われた表情がありました。弱々しく、無邪気に微笑む子どもたちがいました。町を見渡すと日本の支援を受けた小学校や路線バスを散見しました。自分にできることは、きっとある。そんな強い思いが湧き上がってきました。また、自分の弱さや甘えを追い出そうと、在留中にキリマンジャロ登山も経験しました。
※NGO:Non-Governmental Organizations/非政府組織 政府の代表ではなく、あくまで民間による機構・組織。世界のさまざまな場所で環境問題や医療問題に取り組んでいる。
迎えた4回目の試験。一次の筆記試験をクリアし、二次の面接ではありのままの自分をさらけだしました。ケニアでの体験を通した、机上ではなく、自分の内面から発せられる言葉を使って、日本,ひいては世界の安定と繁栄に貢献したいという思いを語りました。結果は、無事合格。さまざまな出会いに導かれながらも、最後は自分の意志と行動力で、ひとつの到達点に立つことができたと思います。
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入省後1ヶ月間は相模大野の研修所にて語学と外務講義を受けます。私はフランス語の研修を命じられました。フランス語はゼロからの勉強で苦労もありますが,現在も週に2回、専門の教員のもとでフランス語の勉強をしています。1ヶ月の研修を終えると本省勤務となります。私が配属されたのは「軍縮不拡散・科学部軍備管理軍縮課」。長い名前ですが、兵器やミサイルはもちろん、それらの開発に用いられる物資や技術が広まることを抑制・阻止し、軍備の管理、縮小、削減をめざすための取組を行っています。私自身、「2010年NPT運用検討会議(ニューヨーク)」や「APEC(横浜)」に携わり、あらためて外務公務員という仕事の重さを感じました。
※核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議:Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons: NPT(核兵器不拡散条約)を運用するための世界的な会議。核兵器の拡散を防止するための枠組み。
※APEC:Asia-Pacific Economic Cooperation:アジア太平洋経済協力 アジア太平洋地域の持続可能な発展を目的とし、域内の全主要国・地域が参加するフォーラム。域内の貿易投資の自由化・円滑化、経済・技術協力を主要な活動としている。
日々変化する社会情勢の中、世界の平和を構築するためにさまざまな政策を提言することができます。ひとつの案件に対して、さまざまな専門家がチームを組み、それぞれの知見からアイデアを出していきます。 “チームJAPAN”の一員としてやりがいと責任感をもって取り組める魅力のある仕事だと思います。
また、APECの際にアメリカのオバマ大統領や中国の胡錦濤国家主席など各国のリーダーを間近で見た時、世界は狭いなと感じました。外交官になれば、常に世界を身近に感じ活動することができます。
外交官として一人前になることです。一人前とは、特定の地域、分野において日本を代表する人物であると、自他共に認められたときだと思います。スペシャリストとして、その地域、分野で様々な政策を堂々と提言できる存在になりたいと思います。そうそう、休学を決断するきっかけとなった片想いの彼女ですが、実は前職を退職した直後に再会し、結婚しました。式は南山チャーチで行ったんですよ。こちらも、あきらめなければ、想いは成就するのです(笑)。新しい家族のためにも、がんばっていきたいですね。

外務専門職試験は、総合力が試される試験です。苦手科目を作らず、バランス良く勉強することが大切です。1日のうちにメイン科目とサブ科目を決め、メリハリをつけて勉強すると良いと思います。また、大学受験の勉強にも通じることですが、同じ目標を持つ仲間をつくってください。そしてなにより学生のうちに色々なことに挑戦してください。経験から学んだこと,そこでの出会いが他の人にはない自分らしさを形成していくのだと思います。あきらめなければ失敗はありません。皆様のご活躍を楽しみにしています。
(2011年6月 南山大学にて)
2011年6月現在
| あかほり まさと | ||||
| 赤堀 雅人 | ||||
| 外務省 在フランス大使館・外交官補 | ||||
| 2006年3月 | 総合政策学部 総合政策学科 | |||
| 2001年4月 南山大学総合政策学部 入学。 |
| 2003年 南山アジア短期留学プログラム(NAP)でマレーシアへ。 |
| 2003年 休学し米国へ語学留学(約6ヶ月)続けて2004年、メキシコへ語学留学(約3ヶ月)。 |
| 2005年 外務専門職試験に向けて勉強を開始。 |
| 2006年 外務専門職試験 失敗(1回目)。大学卒業。 |
| 2007年 就職浪人。同試験 失敗(2回目)。大学法人へ就職することにする。 |
| 2008年 同試験 失敗(3回目)。 大学法人を退職。 |
| 2009年 在ケニアNGOへインターンシップを経験。同試験 合格(4回目)。 |
| 2010年 外務省入省。 |