

南山大学と上智大学。ともにカトリック大学として共通した教育理念を持ち、長きに渡って活発な交流が行われています。50年以上の歴史を誇るスポーツの交流戦「上南戦」は、まさにその代表例。そこに、新たな交流のカタチとして生まれたのが「知の交流」。今回で3回目の開催だが、すでに両大学の学生にとって重要なイベントとなっています。
「知の交流」は南山大学と上智大学の間で行われている、一年に一度の知の競演。それぞれが日頃の研究成果を英語で発表した後、日本語によるディスカッションを展開します。ハイレベルな英語力、研究テーマへの鋭いアプローチなど、見どころたっぷりだったイベントをレポートします。

上智大学の小塩和人先生のゼミで学んでいる外国語学部英語学科の学生たちが、南山大学名古屋キャンパスを訪れた2010年11月3日。「知の交流」が、この“文化の日”と呼ばれる日に行われたことを必然と言いたくなるほど、南山大学と上智大学の学生たちによる叡智の結晶は、濃密で豊饒なものでした。迎えるのは南山大学外国語学部英米学科の藤本博先生のゼミ生たち。みんな期待と緊張が入り交じった感情を抱えながら念入りに準備を整え、この日を心待ちにしました。
当日は8人の学生が壇上に立ち、それぞれの研究成果を英語で発表、その後、自由闊達な討論を日本語で行いました。自らの留学体験や精査した文献資料を基に試行錯誤を繰り返した研究内容。それに対する、さまざまな視点から繰り出される質疑は、使用したフレーズの意図や豊富な知識を駆使した事実確認、さらには論文の構造に対する指摘にまで至り、まさに「知の交流」にふさわしい豊かで刺激的な時が紡がれていきました。
同時に英語で発表することの難しさも感じました。ここに参加した学生たちの語学レベルは高いのですが、それでも、自分の考えを表現するうえでの微妙なニュアンスや専門分野に関するボキャブラリーなど、自分に足りないものが見えてきます。さまざまな考察、新たな視点、そして向学心を刺激する友人たちの存在。「知の交流」で得られるものは多く、かけがえのないものばかりです。
毎年、交互に舞台を移してきた「知の交流」。2011年の第4回は上智大学に舞台を移します。
1941年の日本軍による真珠湾攻撃と、2001年の9.11同時多発テロを比較しながら、アメリカという大国がどのような安全保障論を確立していったのかを発表した相羽さん。それに対して、国家間の争いと、国とテロリストとの争いを同列に語ることへの是非など、鋭い質問が飛びました。相羽さんは、2つの争いの相違点を認めつつも、では同時多発テロが起こった際に、アメリカ国内で真珠湾の記憶が持ち出されたのかをテーマに、歴史的事実だけではない、アメリカの国家戦略論へと考察を展開。聴き応えのある応酬が繰り広げられました。

The symbolic meanings attached to Japan’s 1941 attack on Pearl Harbor have greatly affected American foreign policy in the postwar period. At the time, the U.S. regarded Pearl Harbor as a “sneak attack” and it soon became an icon of enemy treachery. President Roosevelt’s now famous “infamy” speech solidified Pearl Harbor’s place in popular memory and-by emphasizing that the attack happened on American soil-justified America’s military action as both righteous revenge and protecting the homeland.
In subsequent decades, the legacy of Pearl Harbor brought other profound changes to American diplomacy and national security policy. In the wake of the attack, the U.S. abandoned isolationism and expanded the production and supply of armaments in order to, ostensibly, defend American soil from future attacks. When such an attack occurred on September 11, 2001, policy makers once again looked to Pearl Harbor as a fitting symbol. George W. Bush, for instance, referenced Pearl Harbor in his first post-9/11 address, and subsequent policy decisions in many ways reflected American responses to the 1941 attack. As a result, the U.S. has once again adopted a foreign policy stance that combines homeland defense with righteous revenge.
(2010年11月3日開催)

